姫の前(比企朝宗の娘)・比奈(ひな)~2分でわかりやすい解説(鎌倉殿の13人)




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目次 contents
  1. 姫の前とは

姫の前とは

姫の前(ひめのまえ) は、鎌倉時代初期の女性で、比企朝宗の娘として生まれましたが、生年や実名などは不明です。
母は、越後局ともされます。
この母と考えられる越後局は、北条政子の官女であったとされ、1188年1月22日に男児を出産した記録が見られます。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優・女優の堀田真由さんが「比奈」(ひな)と言う役名で演じられます。
<注釈> 鎌倉殿の13人では、八重は子供を助けようとして不慮の事故で亡くなりますので、そのあと、北条義時は姫の前を正室にすると考えられます。





比企氏は、源頼朝が伊豆で流刑になっていた際に、長年、乳母・比企尼と比企掃部允が経済支援していました。
また、比企尼の娘たちとして、丹後内侍は安達盛長の妻、河越尼は河越重頼の妻、比企尼の三女は伊東祐清の妻となり、源頼朝を強力にバックアップしています。
更に比企尼の養子となった比企能員も、早くから源頼朝のそばにて仕えました。
しかし、姫の前(姫前)の父・比企朝宗は、源頼朝の乳母を務めた比企禅尼の子、もしくは兄弟ともされますが、いまいちハッキリせず、同じ比企一族であること以外は不明です。
この時代には、長男でも能力が低いとみなされた場合、有能な子を養子にもらって家督を継がせると言う事も普通にあったため、比企能員が比企家の後継者とされ、比企朝宗は外された可能性もあります。

そして、源頼朝が鎌倉幕府を開くと大倉御所に勤める女官の一人に、比企朝宗の娘・姫の前がいました。

姫の前は、美女だったようで、御家人の間でも話題になっていたようです
吾妻鏡では「容顔太だ美麗なり」と記載されています。

昔の女性がモテるポイントとしては、色白で、ふっくらしているなどが美人の条件です。
ふくよかなのは富の象徴でして、能のお面(能面)が、理想の形に近いとされます。





北条時政の子・北条義時も、約1年、恋文を送り続けたと言います。
しかし、姫の前は、見向きもしなかったため、業を煮やした源頼朝が、間を取り持ち「絶対に離縁しません」と、北条義時に一筆書かせて結婚の仲人を行いました。
この約定は、日本で初めての結婚誓約書とも言われています。

ちなみに、北条義時の庶長子・北条泰時は、1183年生まれで、母は阿波局と言う謎の女性です。
この阿波局も、御所で仕えていた女房だったとされます。

珍しく結婚記念日がわかっており、建久3年(1192年)9月25日、姫の前は、北条義時と結婚しています。
そして、建久4年(1193年)北条義時の次男・北条朝時が誕生し、建久9年(1198年)には3男・北条重時、生年は不詳ですが女児・竹殿も生まれました。

しかし、そんな幸せも、長くは続きませんでした。

比企能員の娘・若狭局が、1198年に、源頼家の長男である源一幡を産み、その翌年、源頼朝が死去して、源頼家が鎌倉幕府2代将軍に就任します。
すると、北条時政・北条義時は、比企氏の権力を恐れるようになりました。

そのため、1203年、源頼家が病気で寝込んでいる間に、北条時政らによって、比企能員が殺害される「比企能員の変」となり、比企ヶ谷の比企一族は滅ぼされました。
源頼家の妻・若狭局と、その子・源一幡も、命を落としています。
その比企ヶ谷に軍勢を差し向けたのは、姫の前の夫・北条義時であったことから、離縁となった姫の前は京の比企氏を頼ったと考えられます。

<注釈> 父・比企朝宗は、高齢だったようで、定かではありませんが、乱の前(1202年前後)に亡くなった模様です。





それからしばらくして、姫の前の動向が伺えます。
明月記と言う文献では、嘉禄2年(1226年)11月5日「源具親の子・源輔通は、北条朝時の同母弟で、鎌倉幕府から任官の推挙があった」と記載されています。
北条朝時は、姫の前が産んだ北条義時の次男で、その同母(姫の前)の弟に当たるのが、源輔通(源具親の子で1204年生まれ)となっています。
このことから、比企能員の変のあと、姫の前はすぐに京に入って、源具親と再婚したと推測されます。

再婚した源具親(みなもと の ともちか)は、土御門天皇に仕えていた公家・歌人です。
その子が、源輔通(みなもと の すけみち)(1204年~1249年)と言う事になります。
源具親の次男・源輔時も、姫の前が産んだと考えられます。

また、明月記では、承元元年(1207年)3月30日「前日に源具親少将の妻が亡くなった」と記載されていますりので、姫の前は比企能員の変から3年あまりで死去した模様です。





なお、若狭局の女児・源媄子 (竹御所・源鞠子) は、比企能員の変の際に、まだ幼ったこともあり、祖母・北条政子が保護したようです。
また、姫の前と離別した、北条義時は継室として、伊賀朝光の娘・伊賀の方を迎えており、1205年に北条政村が誕生しています。

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