北条朝時(名越朝時)【鎌倉殿の13人】わかりやすく解説すると女性問題で失脚する




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目次 contents
  1. 北条朝時(名越朝時)

北条朝時(名越朝時)

北条朝時(ほうじょう-ともとき)は、鎌倉時代前期の武将で1193年に生まれた。
父は北条義時で母は姫の前
兄に阿波局が産んだ北条泰時、弟に同じ母の北条重時、北条有時(母は伊佐朝政の娘)、北条政村(母は伊賀の方)、北条実泰(母は伊賀の方)、北条時尚(母は伊賀の方)がいる。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、お笑いトリオ「スーパーサイズ・ミー」 の西本たけるさんが北条朝時(名越朝時)を演じられる。

1203年、比企能員の変の際に、比企一族出身の母・姫の前は離婚して、子供たちを鎌倉に残し京で源具親と再婚した。
1205年、北条時政と牧の方が伊豆に流罪。
そして1206年に北条朝時(名越朝時)は元服した。





1211年、3代将軍・源実朝の御台所・信子(鎌倉殿の13人での役名は千世)に仕える女官として京からやってきた佐渡守親康の娘(役名・よもぎ)がいる。
佐渡守親康の娘は美人だったとされ、北条朝時は艶書(ラブレター)を送ったと言う。
しかし、一向になびかないので北条朝時(20歳)は、1212年5月7日、深夜に娘の局に忍びこんだ。
これを知った将軍・源実朝の勘気に触れ、父・北条義時からから絶縁された北条朝時は駿河国富士郡で蟄居となっている。

<注釈> 和田義盛が、3男・朝比奈義秀の妻にするため奪い合ったともされる。

しかし、蟄居も約1年で許され、1213年5月、和田義盛の乱(和田合戦)の際には北条勢の戦力となっており、兄・北条泰時と防戦した。
北条朝時は勇将で名高い朝比奈義秀と戦い負傷したが賞賛され、その後、鎌倉御家人として活躍が見られる。

<注釈> 朝比奈義秀は和田義盛の子で、源平盛衰記によると巴御前が母親ともされる。(実際にはたぶん違います)

北条朝時の正室は大友能直の娘で嫡男は北条光時。
次男・北条時章は1215年に生まれている。
継室は北条時房の娘。

1221年、承久の乱では北陸道の大将軍となり、佐々木信実や結城朝広らと朝廷勢を撃破した。

反乱した朝廷の首謀者・藤原範茂(藤原範季の次男)を北条朝時が京から鎌倉へ護送する途中、川に沈めて殺害した範茂史跡公園も神奈川県にある。

北条朝時は加賀国・能登国・越中国・越後国などの守護を兼任している。

1224年6月、父・北条義時が死去。
兄・北条泰時が六波羅探題で在京していたため、北条朝時(32歳)が弟たちと父の葬儀を行った。
伊賀の方が、子の北条政村を執権にしようとした伊賀氏の変を経て、兄・北条泰時が3代執権となった。
北条朝時は1225年に越後守、1236年には評定衆となったが、初めて出仕するとすぐに辞めて幕府から距離をおいている。
祖父・北条時政の屋敷・名越邸を継承したため、名越朝時(なごえ ともとき)とも呼ばれる。
以後、北条朝時の名越流は北条一族の中でも高い家格を持つ有力な家柄となった。

1231年、名越邸に強盗が入ると、北条泰時が政務を投げ出して駆けつけたとされ、感激した北条朝時(名越朝時)は兄への忠誠を誓ったというのである程度の確執は続いていたようだ。





1242年、病となった兄・北条泰時が出家した際に、北条朝時(名越朝時)も翌日出家して生西と号した。
1245年4月6日、北条朝時(名越朝時)は死去。享年53。

名越流は以後も得宗家に対して反対勢力となっている。

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