北条時房のちょこっと解説~鎌倉幕府初代連署として北条家を支える




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目次 contents
  1. 北条時房とは

北条時房とは

北条時房(ほうじょう ときふさ)は鎌倉時代の武将で1175年に伊豆の豪族・北条時政の3男として生まれた。
母は不詳。
兄弟には北条宗時北条政子北条義時北条政範阿波局、北条時子などがいるが、12歳年上である北条義時の弟が北条時房と言う事になる。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の瀬戸康史(せとこうじ)さんが北条時房を演じられる。

源頼朝鎌倉幕府を起こしたあと1189年に14歳で元服した際には、源頼朝の命にて三浦義連が烏帽子親に務め、はじめ北条時連(ときつら)/ 北条五郎時連と称した。
吾妻鏡では、北条時房の元服儀式に下記のそうそうたるメンバーが出席している。

大内義信・太田広綱・安田義定・源範頼・北条義時・新田義兼・千葉常胤三浦義澄・三浦義連・畠山重忠・小山田重成・八田知家足立遠元・工藤景光・梶原景時和田義盛土肥実平岡崎義実・宇佐美助茂など。

そして、奥州の藤原泰衡を攻撃した奥州合戦に参じた。

正室は足立遠元の娘。
側室が産んだ子も含めて子供には、1197年に生まれた北条時盛、北条時村、北条資時、北条朝直、北条時直、北条時定、北条時広、房快、忠源、一条頼氏の妻、北条朝時の妻、安達義景の妻、長井時広の妻などがいる。





1199年、源頼朝が死去し、鎌倉幕府の2代将軍に源頼家が就任。
北条時房は蹴鞠(けまり)が得意だったようで、源頼家の側近に選ばれて和歌の相手もした。

1202年、27歳のときに北条時房へと改名し、鎌倉幕府の寺社奉行になっている。
1203年、北条時政の謀略にて比企能員の変となり、将軍・源頼家が修善寺に追放され、兄・北条義時は姫の前と離縁している。
このとき、源頼家に近い御家人らも処罰を受けたが、北条時房は連座しておらず北条氏一門として執権政治に関わって行くようになる。

1205年、畠山重忠の乱に参陣。
その後、北条時政と妻・牧の方が平賀朝雅を新将軍に据えようとする計画が発覚し、父・北条時政は伊豆に追放された。

1209年頃には政所別当に就任。
1213年、和田合戦に従軍。
1215年、父・北条時政が死去。

1218年、北条政子が上洛して後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子と会談した際に北条時房も同行。
子の北条時村と後鳥羽上皇の蹴鞠の会に出席しているのが伺えるほか、藤原頼経を連れて鎌倉に戻った。
1219年、鶴岡八幡宮にて公暁が3代将軍・源実朝を暗殺。

1220年、詳細は不明だが、子供の兄弟間で家督継承権の争いがあったようで、最終的に北条朝直が北条時房の嫡子とされている。
1221年、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を発すると、北条泰時・北条時氏・足利義氏・三浦義村・千葉胤綱らとともに東海道の大将軍として出陣。
六波羅探題の南方に就任して朝廷の監視し戦後処理に当たった。

1224年、兄・北条義時が死去すると北条泰時が北条家の家督を継いだ。
北条義時の後妻(継室)の伊賀の方は伊豆へ追放されている(伊賀氏の変)。
この時、北条泰時は叔父にあたる北条時房を執権の補佐役に任命し、鎌倉幕府の公文書には執権と連名で署名した。
そのため、後年、この補佐役(副執権)のことを「連署」(れんしょ)と呼ぶようになり、北条時房が初代連署とされる。
鎌倉幕府の4代将軍には藤原頼経が就任。
1225年、大江広元、北条政子らが死去すると北条時房は鎌倉に戻り、北条泰時と政務にあたった。

1228年には、第4代将軍・藤原頼経や、執権・北條泰時、連署・北条時房など多数が、三浦義村の山荘跡地(相模・田村館)を、遊興で訪れて3日間滞在。





1232年、北条泰時と共に政所別当に就任するも、筆頭の別当は北条時房が担当している。
1240年に北条時房は死去。享年66。

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