2分でわかる「北条泰時」の解説~御成敗式目を制定した鎌倉幕府3代執権




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目次 contents
  1. 北条泰時とは

北条泰時とは

北条泰時(ほうじょう-やすとき)は、鎌倉時代の武将で、源頼朝の挙兵から3年目の頃である寿永2年(1183年)に生まれた。
父は鎌倉幕府代執権・北条義時で、母は側室・阿波局(あわのつぼね)の長男(庶長子)と言う事になる。
幼名は金剛。

北条泰時

御家人・多賀重行が、10歳くらいの北条泰時(金剛)と、すれ違った際に、下馬して挨拶しなかったのを、源頼朝が問題にしたとある。
北条泰時(金剛)は、多賀重行の行いを非礼だとは思っていないとかばったとされるが、裁定は、多賀重行は所領没収、北条泰時は褒美を与えられたとされる。
1194年、北条泰時は元服し、烏帽子親である源頼朝から1字を与えられ「北条頼時」と名乗った。





源頼朝の命にて、三浦義澄の孫娘、三浦義村の娘・矢部禅尼と婚約し、のち1202年、正室に迎えている。
吾妻鏡では、1200年2月26日の段階で「江間大郎頼時」と記されているが、1201年9月22日の記載では「江馬泰時」とあり、経緯は不明だが名前が変わった模様。
<注釈> 父・北条義時の所領は江間荘で、父も江間氏を称していることから、北条泰時も当初は江間氏を相続する予定だった模様。

1203年、北条時氏(3代執権)を矢部禅尼が産む。
また、1203年9月、比企能員の変では、比企氏討伐勢に加わった。
1211年、弟・北条朝時(ほうじょう-ともとき)が、女性問題で3代将軍・源実朝の怒りを買い、父・北条義時は駿河国富士郡で蟄居させている。
1213年、和田合戦にて北条泰時は、父・北条義時に従い、和田義盛を滅ぼし、陸奥・遠田郡の地頭職を得た。
1218年、北条泰時は侍所・別当に就任。
1221年、承久の乱になると、北条泰時(39歳)は、鎌倉幕府軍の総大将として、後鳥羽上皇勢を破って京に入り、朝廷を武力で倒した。





1224年9月、父・北条義時が死去したため、鎌倉に戻るが、継母・伊賀の方が、実子である北条政村を次期執権にしようと「伊賀氏の変」が起こる。
これに反対した尼御台・北条政子は、大江広元と相談し、北条泰時と北条時房(北条時政の子)を御所に呼ぶと、両名を執権に任命した。
更には、伊賀の方らを謀反人とし、北条荘にて謹慎させている。
こうして、北条政子の後ろ盾を得た北条泰時(42歳)は、家督を相続し、第3代執権となった。
<注釈> 執権(しっけん)とは、鎌倉幕府将軍(鎌倉殿)を助け、政務を統轄した最高責任者で、今で言うと総理大臣に該当すると言うとわかりやすいか?、北条得宗家が世襲していく。

院政の時代には院の庁の長官の職名でもあり、また、室町時代には管領を指し、大名の家臣が称されることもあった。





1225年、北条政子や大江広元が亡くなると、執権・北条泰時は政治手腕を発揮して行く。
三浦義村・中原師員ら11人の評定衆による集団指導制、合議政治を打ち出して、執権補佐に当たる連署の職を新設し、北条時房を起用した。(初代・連署)
<注釈> 連署(れんしょ)とは、執権の補佐役である実質上の「副執権」。

1232年、行政・訴訟などに関して基準を示した日本最初の武家法「御成敗式目」を平盛綱に命じて定め、犯罪を未然に防止し、鎌倉幕府による御家人支配を安定させた。

1242年、北条泰時は、病を得て出家し、観阿(かんあ)と称するも、6月5日死去。享年60。
武家政権を確立させただけでなく、道理を愛する清廉な政治家として評価が高い。

第4代執権には、1230年に亡くなっていた長男・北条時氏の子・北条経時が就任した。





下記は、大船・常楽寺にある、北条泰時の墓です。
常楽寺の本堂、裏手にありました。

北条泰時の墓

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