三浦光村をわかりやすくちょこっと解説~公暁を世話した「駒若丸」北条時頼と対立し宝治合戦のきっかけに




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目次 contents
  1. 三浦光村とは

三浦光村とは

三浦光村(みうら みつむら)は鎌倉時代中期の武将で1205年、三浦義村の4男として生まれた。
母は土肥遠平の娘?
幼名は「駒若丸」(こまわかまる)で、2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の込江大牙(こみえたいが)さんが演じられる。

三浦光村は幼少時代に僧侶となって鶴岡八幡宮にいたため、京からやってきた公暁が北条政子の意向で鶴岡八幡宮の寺別当になると駒若丸は門弟となった。

大河ドラマでの役どころとしては、鶴岡八幡宮で千日参籠をする公暁を世話する稚児になる。





1219年1月27日、鶴岡八幡宮にて公暁が源実朝を暗殺。
しかし、駒若丸は1218年9月に、鶴岡八幡宮で乱闘騒ぎを起こして出仕停止となっているため、暗殺の際の動向は不明。
大河ドラマでは、駒若丸が襲撃に必要な太刀・薙刀・雪除けの蓑などを用意している。

その後、還俗して元服すると北条光村と称した。
鎌倉幕府の4代将軍・藤原頼経が幼少のころから昵懇の間柄だったようで近習も務めた。

京にて検非違使を経て叙爵し、壱岐守・河内守・能登守などを歴任しているので鎌倉幕府からは大変評価されている武将と言えよう。
1223年には北条重時・結城朝広とともに、のち鎌倉幕府4代将軍になるまだ幼い藤原頼経の近習を務めはじめ、側近として仕えていった。

三浦光村の通称は駿河三郎。
三浦光村の妻は後鳥羽院の北面の武士・藤原能茂の娘。

1242年、3代執権・北条泰時が死去すると、鎌倉幕府は執権の北条派と将軍派に分裂。
1244年、藤原頼経(九条頼経)が子の藤原頼嗣に将軍職を譲った際には、鎌倉幕府評定衆のひとりに三浦光村が加わり、そのころ讃岐国守護となった。





1246年、4代執権・北条経時が死去すると、藤原頼経(九条頼経)擁する名越光時を中心に後藤基綱・千葉秀胤・三善康持らが、5代執権・北条時頼を排除しようとし三浦光村も将軍側につた。
この「宮騒動」は北条時頼に察知され、名越光時は弟・三浦時幸とともに出家して北条時頼に降伏しのち自害。
藤原頼経は鎌倉を追放されることになり、三浦光村は藤原頼経の上洛警護を務めた。
京から鎌倉に戻る際には、藤原頼経との別れを惜しみ「いま一度鎌倉に迎えたい」と人々に誓っていたと言う。
この事件を契機に北条氏と三浦氏は対立を深めて、翌年「宝治合戦」となって三浦一族が敗れた際に三浦光村も運命を共にした。享年43。

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