和田胤長をわかりやすく解説【鎌倉殿の13人】泉親衡の乱に加担し須賀川に流罪となる




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目次 contents
  1. 和田胤長

和田胤長

和田胤長 (わだ たねなが) は鎌倉時代前期の武将で1183年に生まれた。
父は和田義長(和田義盛の弟)でその嫡男、母は不詳。
弓の名手としても知られる。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の細川岳さんが和田胤長 役を演じられる。





1213年(建保元年)2月、源氏で信濃にいた泉親衝が前将軍・源頼家の遺児・千寿を擁して北条義時を打倒しようとする。(泉親衡の乱)
このとき、和田胤長は中心人物のひとり(ナンバー2格)だったようで、同族の和田義直和田義重らも誘ったとみられる。

このクーデター計画を実現するため、阿静房安念という僧侶(泉親衡の郎党・青栗七郎の弟)が、鎌倉にいた千葉成胤を訪ねて協力を求めた。
しかし、千葉成胤は安念をとらえて大蔵御所に連行。
金窪行親の調べで安念が自白すると約130人の御家人の名が上がり、翌日、和田義盛の子である和田義直、和田義重、甥の依田胤長(和田胤長)、上総広常の甥・臼井十郎、八田知家の子である八田三郎らが鎌倉にて捕縛された。(泉親平は行方をくらました)
このとき、和田義盛は自領の上総国伊北荘(いぎた)にいて鎌倉を留守にしていたという。

このあたり、泉親衡の乱に関しては、泉親衡の紹介のところにて触れているため割愛させて頂く。

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非常に問題だったのは、和田義直、和田義重、甥の和田胤長と、和田一族の多くも加担していたことだ。
しかも、首謀者の泉親衡が逃走しているため、鎌倉幕府としても誰かを処罰しなければ示しもつかない。

鎌倉に戻った父・和田義盛は一族98名を連れて御所に赴くと、北条義時の許しも得て、和田義直と和田義重は赦免された。
しかし、和田胤長は主犯格のひとりと考えられ、和田一族らが見守る中、御所の南庭にて縄で縛られた面縛の状態の和田胤長に対して、陸奥国岩瀬郡(福島県須賀川市)に配流の裁定が下り、和田一族に恥辱を与えたとある。
<注釈> 面縛(めんばく)とは、両手を後ろ手にして縛り、首にも縄をかけると言う、武士にとって最大の恥辱とされていた。前代未聞の恥辱なりともある。
こうして和田胤長は二階堂行村に引き渡されたのち、伊東祐長の護送にて陸奥国岩瀬郡へ配流となったが、泉親衡の乱で処罰を受けたのは和田氏だけと言う構図にもなった。





また、父の流罪を悲しんだ和田胤長の娘・荒鵑(6歳)が病気になってしまう。
父に似ていると言う和田義盛の孫・和田朝盛が病気見舞いをするも、その晩に亡くなったとある。
和田胤長の妻・天留(横山時兼の妹、27歳)は、西谷の和泉阿闍梨のもとで出家した。

その後、和田義盛は御所の女官・五條局の仲介にて源実朝の許可を得ると、大蔵御所の左隣にある荏柄天神社の前にあった和田胤長の屋敷をもらい受けた。
当時の慣例としても、流罪になった者の屋敷・土地は、一族に引き渡されることが通例であり問題ない処置と考えられる。
そして、和田義盛の代官として知られた久野谷弥次郎が和田胤長の屋敷に入った。
しかし、北条義時は泉親衡の乱で功績があった金窪行親と安東忠家に和田胤長の屋敷を与えることにし、久野谷弥次郎を追い出したとある。

そのため、和田義盛は御所に出仕しなくなり、北条義時との対立は決定的となった。

侍所別当・和田義盛67歳、執権・北条義時51歳のときであった。
裏切が得意な同じ三浦一族の三浦義村が寝返り和田勢は敗北。

和田合戦のあと、流罪地の岩瀬にて和田胤長も処刑された。享年31。

和田胤長の妻・天留(てる)は、夫のもとを訪ねようと奥州へ一人旅したともされ鏡石にたどり着いたと言う。
そして、現在の鏡沼付近まで来た時に里人から夫がすでに亡き者となっていたと告げられ、泣き崩れれると鏡を胸に夫の後を追って自害したと伝わる。
胸に抱いていた鏡は、いつまでも沼の底で照らし輝いていたとされ「鏡沼」と呼ばれるようになった。
※現在は鏡沼跡として残っている。

陸奥・二階堂氏の最初の本拠地である陸奥・稲村城あたり?が配流地だったのか、和田平太胤長の墓は須賀川市にある。





 
1979年のNHK大河ドラマ「草燃える」では俳優の大阪憲さんが和田胤長を演じられた。

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