朝比奈義秀をわかりやすく解説【鎌倉殿の13人】剛勇の御家人




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目次 contents
  1. 朝比奈義秀とは

朝比奈義秀とは

朝比奈義秀(あさひな よしひで)は鎌倉時代前期の武将で1176年に和田義盛の3男として生まれた。
母は不詳だが、源平盛衰記によると巴御前(樋口兼光の娘)とある。
この巴御前は木曾義仲が討死したあと死去したとも和田義盛が妻として迎えたともあるが、そもそも木曽義仲(源義仲)が討死したのは1184年のため母である可能性は低いかも知れない。(連れ子であれば話は別だが)

他に兄弟としては和田常盛、和田義氏、和田義直和田義重、和田義信、和田秀盛、杉浦義国らがいる。

朝比奈義秀は和田義盛の領地である安房国朝夷郡を得て朝比奈と称し、鎌倉幕府御家人中でも抜群の武勇を誇ったと言う。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の栄信(えいしん)さんが、朝比奈義秀を演じられる。





1200年、2代将軍・源頼家が逗子・小壺の海辺遊覧の際に、水練の技を披露せよと命じられ、水中深くへと10回往復して、計3匹のサメを素手で手取りにしたので人々が驚愕したとある。

1203年5月、父・和田義盛が鎌倉で北条義時と戦った和田合戦では、将軍の居所へ正面から攻め込み多数の武士を倒した。
五十嵐小豊次・葛貫三郎盛重・新野左近将監景直・礼羽蓮乗らが討ち取られ、敵兵は朝比奈義秀の進路からどいたと伝わる。
政所前の筋替橋付近で朝比奈義秀と遭遇した足利義氏はなんとか逃げている。

若宮大路の米町口で朝比奈義秀と遭遇した武田信光は、子の武田信忠が割って入り「父に代わって死を選んだ信忠に感じ入った義秀は、戦わずして走り去ったのだとか。

また、北条朝時(北条義時の次男)は果敢にも朝比奈義秀に切りかかり、負傷して敗走するもその武勇を称えられている。
八田知家の4男・宍戸家政は朝比奈義秀に討たれた。

和田義盛の子である和田義重・和田義信・和田秀盛らが由比ヶ浜で討死すると、戦意を失った和田義盛は悲嘆号泣し、討ち取られたと言う。
そのため、和田常盛、朝比奈義秀、孫の和田朝盛らは戦場を離脱して落ち延びた。
兄・和田常盛は横山党横山時兼らと甲斐の都留郡波加利荘(初狩町付近か?)に逃れたが共に自害。享年42。
朝比奈義秀は領地がある安房を目指したようだが、どうやらその途中から消息が不明。
もし、同じ年に亡くなった場合には享年38になるようだ。





鎌倉七口の切通しのひとつである朝夷奈切通は、朝比奈義秀が一夜して切り開いたと伝わり、朝比奈の滝は朝比奈義秀の伝説によるものとなる。
実際にはこの付近に鎌倉の朝比奈氏の屋敷があったようだ。

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