佐渡守親康の娘「よもぎ」わかりやすい解説【鎌倉殿の13人】北条朝時が一目ぼれ?




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佐渡守親康の娘(よもぎ)

佐渡守親康の娘(実名不詳)は鎌倉時代初期の女性です。
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、御所の女房「よもぎ」と言う役名になっている模様で、俳優(女優)の「さとうほなみ」さんが演じられます。
※ゲスの極み乙女のドラムを担当されている「ほな・いこか」さんが、俳優業でのお名前はさとうほなみさん。

父とされる佐渡守親康は、姓名もわからない詳細不明の人物です。
ただし、藤原親康と言う公家が、1212年12月21日に従五位上となっており、同一人物だったのかも?知れません。





1211年、佐渡守親康の娘は鎌倉に赴くと、3代将軍・源実朝の御台所・信子(役名は千世)に仕える女官となりました。
坊門信清の娘(西八条禅尼)が源実朝に嫁いだのが1204年ですので、それから約7年後に西八条禅尼(千世)の世話をするため、朝廷から派遣された女性と言えるでしょう。
1221年には承久の乱となりますので、もしかしたら、三浦義村の弟・三浦胤義と仲良くなる朝廷の実力者・藤原秀康や藤原兼子、後鳥羽上皇が、何かの意図をもって鎌倉幕府に送ったスパイ的な活動をした可能性があったのかも?知れません。

いずれにせよ、佐渡守親康の娘は大変美人だったようで、鎌倉に赴任するとさっそくの1212年5月7日、北条朝時(北条義時の次男)が艶書(ラブレター)を送ったと言います。
しかし、一向になびかないので北条朝時(20歳)は、深夜に娘の局に忍びこみました。
これを知った将軍・源実朝の勘気に触れたため、父・北条義時からから絶縁された北条朝時は駿河国富士郡で蟄居となりました。

<注釈> 和田義盛が3男・朝比奈義秀の妻にするため奪い合ったともされる。

その後の佐渡守親康の娘に関しては伝わっていませんが、18歳で死去したとも?されます。

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