山木兼隆の解説(山木判官兼隆)~源頼朝挙兵最初の勝利「山本兼隆館跡」




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山木兼隆とは

山木兼隆(やまき-かねたか)は、平安時代後期の武将で、桓武平氏大掾氏の庶流和泉守・平信兼の子となります。
平氏であることから、別名は、平兼隆(たいら-の-かねたか)、大掾兼隆(だいじょう-かねたか)とも言います。
兄弟には、平兼衡、平信衡、平兼時がいます。

山木兼隆

京では、別当である平時忠の配下として見られ、検非違使少尉(判官)として、内裏の門などの警備を担当していました。
ところが、父・平 信兼(たい-の-のぶかね)が、理由がわかっていませんが、子である平兼隆を、訴え出たため、1179年に解任されて、宇野治長・宇野治信(のちの江川氏)がいた、伊豆・山木郷に流されました。
以仁王の乱のあと、懇意であった検非違使別当・平時忠が伊豆を知行することになり、平時兼が伊豆国司となり、許された平兼隆は、そのまま「伊豆目代」に任じられ、山木兼隆は伊豆で勢力を持つようになりました。
山木判官(山牧判官)と称されています。

以仁王の乱を受けて、伊豆国主が源頼政から、平時忠(伊豆守は子の平時兼)変更されたのは、1180年6月29日付です。
それから、すぐに、山木兼隆(平兼隆)が、伊豆目代になったと考えられます。





なお、平家物語・曾我物語によると、北条政子が、源頼朝と良い仲になった際に、父・北条時政は、娘・北条政子を、山木氏に嫁がせようと考えたとあります。
北条時政が大番役で京へ上っていた間に、北条政子は源頼朝と恋仲になりました。
山本兼隆との縁談を進めていた北条時政は、平清盛の逆鱗を恐れ、無理やりにでも、北条政子を山本兼隆のもとへ送ろうとしますが、北条政子は逃げ出して、源頼朝のもとに駆け付けたともあります。
これを聞いた山本兼隆は当然怒りましたが、源頼朝と北条政子は、伊豆山権現に逃げ込んだため、手が出せなかったともされます。
しかし、少なくとも大姫が生まれたのは、1178年ですが、山木兼隆の伊豆配流は1179年でしたので、この話は、のちの世の、作り話と、ほぼ断定できます。

ともあれ、伊豆の豪族にとってみれば、流人で来たのに、平氏の権威だけで、伊豆の実力者となり、威張り始めた山木兼隆に対して、良いとは思わないでしょう。

山本兼隆襲撃

以仁親王の令旨を受けて挙兵する決意をした源頼朝は、最初に、山本兼隆の館を急襲する計画を立て、伊豆の豪族を味方につけて準備を進めました。
挙兵の前に、工藤茂光、土肥実平、岡崎義実、天野遠景、佐々木盛綱、加藤景廉らを、ひとりずつ呼んで、計画を打ち明けました。
また、以前から、安達盛長の推挙により味方にしていた、遊歴の官吏・藤原邦通を密かに派遣して、山本館周辺の情報を得ていたようです。
ちょうど、三島大社の祭礼のため、郎党が留守にしていた日を狙ったようで、山本氏の家来の多くは三嶋大社の神事をみたあと、黄瀬川の宿にて、遊んでいたとされます。





そして、1180年8月17日、山本兼隆が、伊豆目代になった1ヶ月ちょっと後のことですが、源頼朝は挙兵しました。
襲撃したのは、子の刻(23時〜1時)の夜間で、まず佐々木定綱、佐々木高綱が、山本家1番の勇士で後見である堤信遠の館を襲って討ち取ったようです。
この様子を、源頼朝は、蛭ヶ小島の館から、伺っていたようですが、煙も見えなかったため、加藤景廉、佐々木盛綱、堀親家を援軍として出しています。
そして、山木兼隆の屋敷に討ち入ると、佐々木盛綱と加藤景廉が、山木兼隆の首をとりました。

山本兼隆館跡

この山本判官襲撃成功が、鎌倉幕府樹立へと繋がる、第1歩となったのでした。
勝利から2日後には、わずかな兵を引き連れて、土肥実平の相模・土肥郷(神奈川県湯河原町)まで進出し、いよいよ「石橋山の戦い」となります。

山本兼隆館跡

山木兼隆の屋敷は、源頼朝が配流された地とされる蛭ヶ小島(蛭ヶ島公園)から東に約1.5kmの場所にあります。
すぐ近くの山は、韮山城でして、その麓には、幕末に韮山代官所があり、現在、江川英龍の江川邸(旧韮山代官所跡)として、有料公開もされています。
その韮山代官所から、箱根側の小高い一帯が、山本兼隆館跡になります。
現在、館跡は、江川さんの私有地でお住まいのため、道路からの撮影に留めました。
場所は、当方のオリジナル地図関東にて、ポイントしておきます。
駐車場はありませんので、江川邸の無料駐車場にクルマを止めて、徒歩5分といったところです。

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