堤信遠のちょこっと解説~源頼朝の挙兵時に最初に討ち取られた勇士




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目次 contents
  1. 堤信遠とは

堤信遠とは

堤信遠(つつみ-のぶとお)は平安時代末期の武将で、伊豆権守とも呼ばれます。
1179年に山木兼隆(平兼隆)が伊豆に配流となると、堤信遠(堤権守)が後見したと言います。
韮山にある山木館の北方に屋敷があったとされます。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の吉見一豊さんが堤信遠を演じられます。





1180年8月17日、源頼朝が挙兵して山木館襲撃した際、すぐれたる勇士とも称されていた堤信遠を先に襲撃する作戦を取りました。
先行した佐々木定綱・佐々木経高・佐々木高綱らが堤信遠の館に向かっています。
襲撃したのは、子の刻(23時〜1時)の夜間で、雨が降っていたともされ、この合戦では、佐々木経高がまず信遠館に矢を放ちました。
すると堤信遠の郎党(家来)が応戦し、矢戦になったと言います。
堤信遠の屋敷には矢がたくさん備蓄されていますが、出陣してきた佐々木兄弟は移動してきたため持ち矢には限りがあり、不利と見て佐々木経高が太刀を抜いて堤信遠の屋敷に突入したとあります。
佐々木経高が足に矢を受けて倒れますが、佐々木定綱、佐々木高綱も続いて討ち入り、堤信遠を討ち取りました。

吾妻鏡によると、佐々木経高の放った矢には「源家が平氏を征する最前の一箭也」と記載されていたと言います。
この放った鏑矢が、平家を征伐するための最初の矢になった次第です。





一方で、北条時政らは天満坂を進軍して、山木兼隆館を攻撃しました。
駆けつけた佐々木盛綱と加藤景廉が山木館に入ると、見事に山木兼隆を討ち取っています。

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