1分でわかる「北条時政」~鎌倉幕府樹立に大きく貢献した源頼朝の理解者




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目次 contents
  1. 北条時政

北条時政

北条時政(ほうじょう-ときまさ)は、平安時代末期に伊豆・北条荘の領主である北条時方と伴為房の娘との間に生まれた。
2022年、NHK大河ドラマで三谷幸喜さん脚本の「鎌倉殿の13人」では、北条時政を、歌舞伎役者の坂東彌十郎(ばんどうやじゅうろう)さんが演じられる。
下記は北条時政の館跡。

北条時政

平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆に流刑になると、世話をした関係で、娘・北条政子が、源頼朝の娘・大姫を産んでいる。
京の大番役(朝廷の警護)で、北条時政が伊豆から離れていた時の出来事で、当初、結婚に大反対し、伊豆目代の山木兼隆と、北条政子を結婚させようとした。
しかし、最終的には結婚を認め、北条時政は、源頼朝の重要な味方になる。(下記は源頼朝と北条政子の像)

源頼朝と北条政子の像

1180年、源頼朝が挙兵した際には、伊東祐親の娘との間に生まれていた、嫡男・北条宗時、次男・江間四郎(北条義時)と全面的に協力するも、石橋山の戦いにて、北条宗時を失っている。
敗戦した源頼朝が、真鶴から安房へ逃れた際にも、北条時政・北条義時は従っており、武田信義ら説得するど、鎌倉に入りを助けた。
その後、北条政子は、鎌倉幕府2代将軍・源頼家、3代将軍・源実朝、三幡を儲けてもいる。





こうして、鎌倉幕府にて力をつけてきた北条時政と北条義時は、源頼朝が死去しあたと、2代将軍・源頼家の政治を停止し「宿老13人の合議制」を敷いて、大きく幕府運営に関与した。
また、 梶原景時、比企能員などの有力御家人を、謀反の疑いなどをかけて、滅ぼすことに成功。
1203年、源頼家を伊豆・修善寺に追放し、大江広元に並んで政所別当に就任するなど、3代将軍・源実朝を補佐し、実権を握った。

<注釈> 政所(まんどころ)は、一般政務・財政の部署で、別当(べっとう)とは、最高責任者のこと。以後、政所別当は、執権・連署が世襲しているため、北条時政を初代執権(しっけん)とする場合がある。

更に、畠山重忠を滅ぼすも、畠山重忠殺害に関して反対の立場であった子の北条義時や、北条政子と意見が分かれるようになる。
そのため、後妻・牧の方の娘婿である源氏の平賀朝雅を、次期将軍に擁立しようと考えたが、北条義時・北条政子は、将軍・源実朝を手中に収め、北条時政の言う事を聞く御家人もいなくなった。
こうして、北条時政と牧の方は出家し、その翌日には鎌倉から追放されて、伊豆・北条で隠居させられている。





それから、北条時政の活動は見られておらず、10年後の1215年ら腫瘍のため北条にて死去。享年78。

墓所は願成就院。
下記は北条時政の墓。

北条時政の墓

なお、北条義時は2代執権として権力を掌握し、以後、足利尊氏が鎌倉幕府を倒すまで、北条氏が執権を世襲する。

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