三幡をわかりやすくちょこっと解説~源頼朝と北条政子の次女




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目次 contents
  1. 三幡とは

三幡とは

三幡(さんまん)は、鎌倉時代初期の女性で1186年に生まれた。
父は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝で、母は正室の北条政子
姉に大姫がおり、三幡(乙姫)は次女となる。
兄に源頼家、弟に源実朝
貞暁とは異母兄妹(または異母姉弟)。

三幡は、妹姫の意味で乙姫とも呼ばれる。
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では子役として、幼い三幡を太田結乃さんが演じられている。





三幡の乳母は、中原親能の妻・亀谷禅尼。
そのため、乳母父は中原親能になる。

1197年、姉・大姫が死去すると、源頼朝は三幡(乙姫)を後鳥羽天皇の妃にしようと考えた。
そのため、三幡は女御の称号を得て、正式に入内される予定になったとされる。
しかし、源頼朝は1199年1月13日に死去。

その後も北条政子・源頼家により三幡の入内が予定されたが、1199年3月5日頃から三幡は高熱を出し病となった。

京の名医(鍼博士)・丹波時長を招くため朝廷にもお願いし、5月になって丹波時長が鎌倉の畠山重忠の屋敷に到着。
行く実、丹波時長は薬・朱砂丸を三幡に処方したため、砂金20両を受けている。
月末に、三幡は少し回復し食事をとっている。





しかし、三幡はぐったりとなり、6月12日からは目の上が腫れたと言う。
これに驚いた丹波時長は「望みはない、人の力が及ぶところはない。」と言いったとされる。さめる。
京にて知らせを聞いた中原親能の鎌倉到着を待ち、丹波時長は6月26日に源頼家の屋敷を後にして京への帰路についた。

そして、1199年6月30日に三幡は死去。享年14。

京より戻っていた乳母父・中原親能は出家。
また、中原親能の屋敷がある鎌倉亀谷堂の傍らに三幡の墓がもうけられた。

鎌倉亀谷堂

葬儀には、北条義時大江広元小山朝政三浦義澄結城朝光八田知家、畠山重忠、足立遠元梶原景時、宇都宮頼綱、佐々木盛季、二階堂行光らが列したとされる。

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