八重姫(伊東祐親の3女)の解説~源頼朝の子をなすも悲運の女性

八重姫とは

八重姫(やえ-ひめ)は、平安時代末期の女性で、伊東庄の豪族・伊東祐親の3女として生まれ育ちました。
1160年、伊豆に流罪となった源頼朝は、はじめ、伊東祐親(いとう-すけちか)の領地にて謹慎した可能性があります。
要するに、伊東八重の父・伊東祐親は、子の河津祐泰、伊東祐清らと、源頼朝を監視する役目を負っていました。
やがて、父・伊東祐親が、大番役(警備)で、京に上洛している間に、伊豆で1番の美女とされる八重は、源頼朝と通じます。
現在の伊東温泉を流れる伊東大川(松川)の中流に、音無神社がありますが、源頼朝と八重姫が密かに、会っていた場所とされます。
また、源頼朝は、八重に会うため、松川の対岸にある日暮八幡神社「ひぐらしの森」にて、日暮れを待ったと言われおり、暗くなってから、密会していた模様です。
そして、生まれた男子は、千鶴御前(千鶴丸)と名付けられました。
1175年、そんなことを知らずに、大番役の任期を終えて、京から戻った父・伊東祐親は「平清盛に知られれば、咎(とが)めを受け、伊東家滅亡の危機になる」と激怒します。

まだ、3歳と幼い千鶴丸の腰に、重い石を巻きつけ、伊東の松川の上流にある、稚児ヶ淵に、沈められたと伝わります。
そして、八重姫は、伊豆の住人・江間小四郎に、嫁がせました。
更に、伊東祐親は、源頼朝を暗殺しようとしますが、比企尼の3女を妻にしていた次男・伊東祐清が、源頼朝に知らせたため、走湯後権現(伊豆山神社)から、北条時政の屋敷に逃げ込み、難を逃れています。
<注釈> 北条時政の正室は、伊東祐親の娘で、1163年に北条義時を産んでいる。
のち、源頼朝が挙兵しても、伊東祐親は、平家側として敵対しており、富士川の戦いにて捕虜となります。
このとき、三浦義澄の助命嘆願にて、許されるも、伊東祐親は「以前の行いを恥じる」と言って、自刃しました。
一緒に捕らえられた伊東祐清を、源頼朝は以前助けてくれた恩から、許しましたが、父が自刃した以上、自分が恩賞を受ける事は出来ないと、最後まで平家側として戦い、命を落としています。

なお、八重が再嫁したとされる、江間四郎(江間小四郎)は、当時、江間荘を領していた、13歳くらいの北条義時(北条四郎義時)のこととされ、のちの第2代執権です。
ただし、北条義時の正室は、鎌倉の大倉御所で勤めていた女官・姫の前であり、源頼朝が仲を取り持ちました。
北条義時の継室は伊賀の方、側室は阿波局、伊佐朝政の娘などで、八重姫の名を確認することはできません。
ただし、母が不明の子もいます。

その後の八重

源頼朝のそばを離れた「八重」のその後に関しては、諸説あります。
なお「曽我物語」によると、他家に嫁いだ八重姫は、1180年、父・伊東祐親が伊豆を留守しているあいだに、宇佐美(伊東竹の内の別館)から抜け出し、源頼朝が身を寄せていた北条時政の邸宅を、待女6名を連れて訪ねます。
しかし、すでに北条政子と結婚していたため、会うことができず、絶望した八重は、侍女らと真珠ヶ淵に身を投げて、命を絶ったとしています。
このように、入水自殺した、北条氏と再婚した、千葉氏に嫁いだなど、色々と説があり「源平闘争録」では、鎌倉幕府が成立した時点において、八重姫は生きていることになっています。

そのため、2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、三谷幸喜さんは、ある程度、自由に想像を膨らませて、八重を描くようで、主人公・北条義時の初恋の人が「八重」としているようです。
どのような展開にするのか?、とても楽しみなところです。

ちなみに、NHK大河ドラマ「平清盛」では、女優の福田沙紀さんが、八重姫を演じられ、岡田将生さんの源頼朝と、出会いました。
そして、2022年「鎌倉殿の13人」では、人気女優の新垣結衣さんが、いよいよ、八重として、大河ドラマ初出演となります。

なお、北条政子も、父・北条時政が、大番役で京にた間に、子をなしたとされ、伊豆に戻った北条時政は、北条政子を伊豆目代・山木兼隆へ、嫁がせようとしました。
しかし、源頼朝と北条政子は、伊豆山権現(伊豆山神社)に逃げ込んでいます。
娘との結婚を許さなかった伊東祐親と、最終的には結婚を許すだけでなく源頼朝に協力して行った北条時政は、まさに正反対の対応だった言えるでしょう。

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