一条高能を簡潔にちょこっと解説~大姫との縁談もあった公卿




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目次 contents
  1. 一条高能とは

一条高能とは

一条高能(いちじょう-たかよし)は、鎌倉時代初期の公卿で政治家。
生まれは平安時代末期の1176年で、父は原北家中御門流・一条能保。
母は源義朝の娘・坊門姫であることから、源頼朝は伯父にあたる。
そのため、成長した若き一条高能が源頼朝の後援により1184年、左馬頭となると鎌倉幕府と朝廷との仲介をする立場となって活躍した。
北条時政の後任として1186年3月~1197年10月まで父・一条能保が京都守護も務めてたが死去。
その後、父の死を受けて一条高能が京都守護職となって、若くして従三位に叙されている。
更に、源頼朝の娘・大姫との縁談が進められたが、大姫が拒絶して破談となっている。

なお、この間、1196年、土御門通親と九条兼実が対立し建久七年の政変となると一条家は土御門通親に味方し、参議に昇進して公卿となっていた。

一条高能の妻は、松殿基房の娘、糟屋有季の娘、藤原兼光の娘、四条隆季の娘がおり、戸としては一条能氏、一条頼氏、一条行能、一条能継、九条基家の妻などがいる。

しかし、父の没後から約1年後の1198年、一条高能は病死。享年23。

のち1221年、後鳥羽上皇と鎌倉幕府の北条義時が対立した承久の乱では、弟の一条信能と一条尊長らが上皇方の首謀者とされ処刑されている。

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