3分でわかる「山内尼」解説~源頼朝の乳母・摩々局との関係は?




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目次 contents
  1. 山内尼とは
  2. 摩々局

山内尼とは

山内尼(やまのうちのあま)は、平安時代末期の女性です。
一般的に出自は不明で生没年もわかっていません。

山内尼

判明している事項は、下記のとおりです。

山内首藤俊通の妻で、山内首藤経俊を産んだ。
源頼朝の乳母を務めた。

山内首藤氏は、首藤資清の娘が、八幡太郎義家の妻となり、首藤資通のときから、源為義の乳母父を務めた家柄で、河内源氏の家人でした。
そのため、山内首藤俊通の妻であった山内尼は、1147年、由良御前(藤原季範の娘)が、源頼朝を産むと、乳母を務めたと言う事になります。

乳母(うば / めのと)と言うのは、実際の母に代わって、母乳を与えた女性のことを言います。
今のように、粉ミルクもない時代ですので、赤ちゃんを無事に成長させるのに、必要な母乳が出る女性、すなわち、子供を産んだばかりの女性を集めたものです。
また、成長すると、幼少期の教育を乳母が担う場合もありましたので、乳母じたいが、しっかりと教育を受けていた女性であったことが多いと言えます。

源頼朝の乳母として知られるのは、寒川尼(さむかわのあま)、比企尼(ひきのあま)、摩々尼(ままのあま)、山内尼(やまうちのあま)と言う事になります。
その他にも、三善康信の叔母(おば)も乳母を務めたと考えられます。





寒川尼は、八田宗綱の娘で、京にて育ったようです。
比企尼の出身はよくわかりませんが、同じく京にいて、比企掃部允の妻となりました。
摩々尼に関しては、源頼朝の乳母を務めた摩々局と言う女性がいます。
生年は1101年生まれと分かっており、摩々本人ではなく、摩々尼(摩々局の娘)であるともされますが、小生は本人だと考えます。
なお、山内尼の出自は不明でして、嫁ぎ先の山内首藤俊通の名前から、山内尼となっている次第です。

1180年7月、源頼朝が挙兵した際には、山内尼の子・山内首藤経俊は、平家勢の大庭景親に味方し、石橋山の戦いにて、源頼朝の甲冑に、矢を当てています。
<注釈> 鎌倉時代の武将は、恩賞をもらえるよう、自分の矢に、名前を書いていて、誰が討ち取ったのか?、わかるようにしていた。
そのため、山内首藤経俊は捕らえられて、山内荘が没収されました。
なお、山内首藤経俊の身柄は、土肥実平に預けられています。





そして、山内尼は、源頼朝に対して、下記のように助命嘆願しました。

山内資通(すけみち)入道が八幡殿(源義家)に仕えて以来、代々源家に尽してきました。
特に夫の山内俊通は平治の乱で屍を六条河原にさらしました。
石橋山合戦で経俊は平家に味方し、その罪は逃れがたいのですが、これは一旦平家の後聞をはばかるためです。

摩々局

摩々局(ままのつぼね)は、前述したとおり、1101年に生まれた女性と言うのが正しければ、源頼朝が誕生した歳には、47歳だったと言う事になり、母乳が出たのか?、いささか疑問が残ります。
そのため、記載間違いで、実際には、摩々局の娘が、乳母を務めた?とも考えられるのですが、実際に、乳はあげなくても、養育係・若い乳母を管理する立場として、養育を指揮していたのではないかと存じます。
また、摩々局に関しては、のちに実家の領地とされる相模国早河庄(小田原)にて暮したことから、中村党(中村氏)の娘と推測されます。
更に、吾妻鏡では、養和元年(1181年)閏2月7日条にて、武衛(源頼朝)誕生時に、乳付に召された若い女性で「摩々」と称される尼が相模国早河庄に住んでおり、頼朝が憐れんで屋敷・田畑をそれまで通りとするよう地頭に命じたとあります。
すなわち、摩々尼じたいが、摩々局の娘であった可能性も考えられる次第です。
乳付をした若い女性と言う「摩々」じたいは、源頼朝ではなく、父・源義朝の乳母としても名が見られることから、それらが混同していることもあり得るでしょう。
山内首藤経俊の身柄が預けられた、土肥実平も、中村一族です。
となると、摩々局は、山内尼と、同一人物、同じ女性である可能性もあると言えるのでは、ないでしょうか?





山内首藤経俊の子・山内首藤重俊は、相模国土肥郷である土肥遠平の娘と結婚したようです。
山内首藤重俊の次男・山内首藤宗俊は、相模国早河荘(小田原市)と備後国恵蘇郡地毘荘(広島県庄原市)を継承しています。

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