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長沼宗政とは
長沼宗政(ながぬま むねまさ)は鎌倉時代初期の武将で1162年に小山政光の3男として生まれた。
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、長沼宗政を俳優の清水伸さんが演じられる。
下野の小山氏は例によって藤原北家・藤原秀郷流れの強大な武士団。
兄に小山朝政、吉見朝信、弟に結城朝光、久下重光、島田政照、養兄弟として吉見頼経がいる。
そのうち、小山朝政、長沼宗政、結城朝光の3人を「小山3兄弟」と呼び、下総・小山城の小山朝政は小山政光の後を継いで宗家・小山氏を継承。
長沼宗政は下野国芳賀郡長沼を領して長沼氏を称し長沼古館に、結城朝光は下総国結城を領して結城氏を称し下総・結城城を築城した。
ただし、長沼宗政は暴れん坊の猛将として知られ、吾妻鏡では「荒言悪口の者」と評している。
1183年、長沼宗政(長沼五郎左衛門尉宗政)が20歳の頃、兄・小山朝政に従い野木宮の戦い(野木宮合戦)にて志田義広を討ちとった。
この功績により、長沼庄(真岡市)を与えられ長沼氏を称した。
その後、平氏との戦いにも参じ、1189年には奥州征伐にも出陣。
1200年、美濃国大榑荘の地頭職を得るなど、武蔵国・陸奥国・美作国・備後国などに所領があり軍功はかなりあったと推測できる。
源頼朝からは信濃・善光寺の地頭職を与えられたが、素行が悪かったのか?、1210年に辞めさせられている。
また、鎌倉幕府3代将軍・源実朝のことを「蹴鞠は得意だが、武芸が廃れる」と批判し、大蔵御所への出仕が停止となるなど「荒言悪口之者」として知られる。
1203年比企能員の変、1205年畠山重忠の乱では北条時政・北条義時に味方。
1213年、畠山重忠の末子の僧侶・重慶が日光山麓で反乱を企てるとの風聞が立つと、逮捕の命に背いて殺害したので源実朝の怒りを買っている。
1221年、日本史上初の朝廷と武家政権の間で起きた武力による争い「承久の乱」でも戦功があり、摂津守護・淡路守護に任命された。
のち、摂津国守護職は失ったが、淡路国守護職は実質的な支配までは疑問が残るも鎌倉時代末期まで長沼氏に相伝されている。
1230年、長沼宗政(長沼淡路守宗政)は、子の長沼時宗に下野国長沼荘・小薬郷・御厩別当職、陸奥国南山、美濃国右太郷・五里郷津布良、美作国西大野保内円宗寺、備後国内平野保、武蔵国柏原郷、淡路国守護職・笑原上田両保地頭職、京都および鎌倉の屋敷を譲っている。
その長沼宗政の子は皆川宗員と称し、皆川氏の祖となった。
1241年、長沼宗政は下野国長沼荘で死去。享年79。
のち、長沼氏の宗家は、南会津の鴫山城(長沼城)に本拠を移している。
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