結城朝光を分かりやすく簡潔に解説【鎌倉殿の13人】梶原景時を堕とし入れる




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目次 contents
  1. 結城朝光とは

結城朝光とは

結城朝光(ゆうき-ともみつ)/ 小山朝光は鎌倉時代前期の武将・御家人で1168年に生まれた。
父は藤原北家・藤原秀郷流の小山政光。
母は八田宗綱の娘・寒河尼で、兄に小山朝政、兄弟として吉見朝信、長沼宗政、久下重光、島田政照がいる。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の高橋侃 (たかはしなお)さんがクールな結城朝光を演じられる。





1180年、源頼朝が挙兵し、安房から再起を果たした際に、武蔵の隅田宿を母・寒河尼と訪ね、源頼朝を烏帽子親として元服したと言う。
1181年には、鎌倉の大倉御所にて、源頼朝の寝所を警護する若武者11名のひとりとなった。
他の10名としては、北条義時・下河辺行平・和田義茂梶原景季宇佐美実政・榛谷重朝・葛西清重・佐原義連・千葉胤正・八田知重。

1183年、志田義広が反乱を起こし、野木宮の戦いとなった際に、八田知家や父・小山政光、兄・小山朝政、長沼宗政らと鎮圧した恩賞として下総国結城郡の地頭になった。
こうして、結城朝光は下総・結城氏の初代当主となっている。

結城朝光の妻としては伊賀朝光の娘、伊賀光泰の娘が伝わる。
<注釈> 比企能員の変のあと、北条義時の継室も伊賀朝光の娘。

1189年、奥州征伐の論功行賞では陸奥・白河荘を与えられている。
白河にはのち白河・結城氏が分家として登場する。

1199年、源頼朝の死後、十三人の合議制が敷かれたが10月25日に、結城朝光は侍所で「忠臣二君に仕えずというが、あの時出家すべきだった。今の世はなにやら薄氷を踏むような思いがする。」と発言した。

すると、阿波局 (大河ドラマ・鎌倉殿の13人での役名は実衣) が、下記のように結城朝光に報告した。

「あなたの発言が謀反の証拠であるとして梶原景時が将軍・源頼家に讒言し、あなたは殺されることになっている。」

驚いた結城朝光は三浦義村に相談すると、三浦一族の和田義盛をはじめ他の御家人たちが鶴岡八幡宮に集結。
梶原景時に恨みを抱いていた公事奉行人・中原仲業に「糾弾状」の作成を頼んだ。

10月28日、梶原景時糾弾の連判状を大江広元を通じて将軍に提出。
署名していた御家人は下記の66名。

千葉常胤三浦義澄・千葉胤正・三浦義村・畠山重忠・小山朝政・結城朝光・足立遠元・和田義盛・和田常盛・比企能員・所朝光・二階堂行光・葛西清重・八田知重・波多野忠綱・大井実久・若狭忠季・渋谷高重・山内首藤経俊・宇都宮頼綱・榛谷重朝・安達盛長入道・佐々木盛綱入道・稲毛三郎重成入道・安達景盛岡崎義実入道・土屋義清・東重胤・土肥維平・河野通信・曽我祐綱・二宮友平・長江明義・毛呂季綱・天野遠景入道・工藤行光・中原仲業。

源頼家は梶原景時に弁明を求めたがなにも答えなかったと言う。

そして、梶原景時は鎌倉を引き払い、相模・一宮館にて謹慎した。
源頼家は唯一と言って良い味方の梶原景時をかばうことができず鎌倉追放が決定。
和田義盛と三浦義村が梶原景時の鎌倉の屋敷を破壊した。
また、梶原景時の播磨国守護は、結城朝光の兄・小山朝政に与えられ、美作国守護は和田義盛となった。

翌年1200年1月20日、梶原景時は一族を引き連れて京を目指し相模国を出発。





北条義時は追っ手を差し向け、駿河国清見関(静岡市清水区)の東海道にて梶原景時らは補足された。
梶原景時らと戦ったのは下記のメンバーになる。

相模・富士塚城飯田家義、廬原小次郎、工藤八郎、工藤六郎、渋川朝貞(渋川次郎)、矢部為定(矢部平次為定)、矢部小次郎、船越三郎、大内小次郎、三沢小次郎、吉川友兼。

襲撃を受けた梶原勢は、狐崎にて合戦となり子の梶原景茂・梶原景国・梶原景宗・梶原景則・梶原景連らが揃って討死。
北条九代記によると、梶原景時と嫡子・梶原景季(39歳)は、次男・梶原景高(36歳)と共に梶原山へと登ったが自害したとされる。

<注釈> 吾妻鏡では、三沢小次郎が梶原景時を討ち取り、矢部平次の郎党が梶原景季・梶原景高・狩野兵衛尉を討ち取ったとある。

また、梶原景時と盟友だった加藤景廉も領地没収となった。

1221年、承久の乱では、 武田信光・小笠原長清・小山朝長とともに東山道の大将軍として京にのぼった。
1224年、執権・北条義時死去。

1235年5月、執権・北条泰時のもと鎌倉幕府の評定衆の一員となったが「短慮迷易にして、是非を弁ぜず」と言い約2ヶ月後には辞任している。

尊敬していた畠山重忠が討たれてからは、つつましい生活をし、政治の表舞台に出る事をさけていたと言われる。





1254年2月25日に死去。享年87。
当時にしてはとても長生きだ。
墓所は結城市の称名寺。

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