比企宗朝をわかりやすくちょこっと解説【鎌倉殿の13人】




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目次 contents
  1. 比企宗朝とは

比企宗朝とは

比企宗朝(ひき-むねとも)は鎌倉時代前期の武将で、通称は比企三郎。
父は比企能員とされ、兄弟に比企時員(比企宗員)、比企五郎、比企能本、河原田次郎、若狭局、讃岐局、笠原親景の妻、中山為重の妻、糟屋有季の妻などがいる。

1182年、鎌倉・比企ヶ谷にある比企能員の屋敷にて、北条政子源頼朝の嫡男・万寿(のちの源頼家)を出産。
父・比企能員が鎌倉幕府2代将軍・源頼家の乳母父を務めると、比企時員と共に近習として出仕したようだ。





1199年、源頼朝の死後、源頼家が鎌倉殿になるが政務能力を問われ、十三人の合議制が敷かれる。
このとき、源頼家は自分ヘの取次役として、狼藉不問の特権を持つ5人を指名した。
この5人のメンバー(小笠原長経、弟・比企時員(比企宗員) 、中野能成ら)に比企宗朝も含まれる。
<注釈> 吾妻鏡ではもう1名が不明だが、北条時連(北条時房)だと考えられる。

1203年、源頼家が阿野全成を捕縛。
このとき、源頼家の命にて北条政子へ阿波局の引き渡しを要求したが、北条政子は拒否している。
その頃から、源頼朝はかなり体調を崩しており寝たきり状態となった。
そのため、つぎの将軍に源頼家の弟・千幡(源実朝)を擁立しようと考えた北条氏と、源頼家の嫡男・一幡につがせようとする源頼家・比企氏との対立は頂点に達した。

1203年9月、北条時政北条義時が比企能員をだまして暗殺。(比企能員の変)
鎌倉の比企氏の館は襲撃され、多くの比企一族と共に、比企宗朝や比企時員も討死したとされる。

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