比企能本の解説~生き残り順徳天皇に仕えた比企氏出身の僧侶




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目次 contents
  1. 比企能本とは

比企能本とは

比企能員の末子・比企能本(ひき-よしもと)は、鎌倉時代前期の僧侶で、1202年に鎌倉幕府有力御家人・比企能員の末子として生まれました。
母は、三浦氏の娘(比企能員の側室か継室)と推測できます。
1203年、比企氏の乱にて比企氏館が攻撃され比企一族の多くが自刃し比企氏は滅亡しました。

比企能本

竹御所、2歳だった比企大学三郎能本、そして母と考えらる妻妾は助命され、母の実家筋と考えられる和田義盛に預けられたとあります。
その後、安房国へ配流となった模様です。

一説では、その後、伯父・比企伯耆法印圓顕に引取られ、京都の東寺に身を隠しながら学問に励んだともあります。
なお、比企能本も「円顕」と僧侶の名前で呼ばれていますので、比企伯耆法印圓顕とは同一人物の可能性も捨てきれません。
いずれにせよ、比企能本(比企大学三郎能本)は僧侶の道へと進み京都へ赴くと学問に励みました。
そして、僧侶と言うよりは、能書家・儒者と言う識者として知られるようになり順徳天皇に仕えました。





なお、比企氏の男子で生き残ったのは、比企能本だけではないと言えます。
比企能員の嫡男・比企時員が、比企の乱で命を落としていますが、その比企四郎時員の妻(足立遠兼の娘?)は生きており既に妊娠していた子が誕生しています。
その比企時員の子は、比企員茂(比企次郎員茂)と名乗りました。
そして、比企能本(圓顕)が仲介し、比企員茂は、京都の順徳院の北面武士として仕えたとあります。

1221年、承久の乱にて、順徳天皇が佐渡に配流になった際には、比企能本(圓顕)も供をしました。





1230年、姪にあたる源頼家の娘・竹御所(29歳)が、鎌倉幕府4代将軍・九条頼経(藤原頼経)(13歳)の妻になると比企能本(圓顕)は許されて、鎌倉に戻りました。
1234年、竹御所が出産時に死去したことから、自仏像であった釈迦如来像を祀るため新釈迦堂の建立を提案します。
そして、1235年(嘉禎元年)、新釈迦堂が建立されました。
1243年には、比企一族と考えられる仙覚(せんがく)が新釈迦堂の寺住となっています。

1253年、比企能本(圓顕、60歳)は、安房出身である日蓮の弟子となります。
一説によると、比企能本の妻や、高齢の母も日蓮に帰依し、母は「妙本」の名を与えられたと言います。

1260年には、比企ヶ谷の比企氏館跡に、姉・讃岐局(若狭局)の菩提を弔う「法華堂」を建立し、比企一族の菩提を弔ったとされ、これが現在の妙本寺の前身となります。





1274年2月、執権・北条時宗が、佐渡に流罪となっていた日蓮を赦免し3月26日に鎌倉に帰還しています。
すると、比企能本(圓顕)は、比企氏館跡の法華堂を、日蓮に寄進したとされ日蓮が鎌倉・妙本寺を開山しました。
鎌倉・妙本寺の山号である「長興」は、父・比企能員の法名であり寺号である「妙本」は、母の法名です。
また、比企能本が供養したとされる、妙本寺にある母の墓には「能員の妻 三浦氏 妙本」とります。
母の墓のほか、鎌倉・妙本寺の境内には、比企一族の墓、一幡の袖塚、若狭局を祀る蛇苦止堂などがあります。

若狭局・法華堂

なお、江ノ島近くの腰越に、比企高家の屋敷(比企能本の屋敷)があったようです。
その後、日蓮上人の直弟子・日朗の弟子である日行が開山し腰越・本龍寺になっています。
比企能本は、1286年に亡くなっていますが、境内には比企能本と同一人物ともされる比企高家の墓もあるようです。

その亡くなった年に、比企能本は身延山に本行坊(ほんぎょうぼう)を開基しており日蓮が開眼し比企能本に与えたと伝わる帝釈天像が祀られています。

比企能本の法名は本行院日学。(本行院日学上人)
妙本寺にある比企氏一族の墓の中には日学夫妻の供養塔もあるため、比企能本には妻もいたようです。

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