平清盛を1分で要点解説「鎌倉殿の13人」松平健さんが演じられる

目次 contents
  1. 平清盛とは
  2. 平治の乱

平清盛とは

平清盛(たいらの-きよもり)は、平安時代末期の日本の武将・公卿で、伊勢平氏の棟梁です。
父は、平忠盛とされますが、白河院のご落胤ともされます。
母は、祇園女御の妹が有力です。
伊勢平氏の先祖は平高望(高望王)で、平良望(平国香)の嫡男・平貞盛から、3男・平維衡が伊勢平氏の祖となる、桓武平氏維衡流坂東平氏系伊勢平氏が、平清盛の出自になります。
関東から移った伊勢平氏は、所領を寄進するなどして白河天皇、鳥羽天皇の軍事力を担い、財力・勢力を伸ばします。
平忠盛の死後、平清盛が家督を継ぐと、保元の乱・平治の乱を制し、従一位・太政大臣にまで昇進し、平家一門の栄華を極め、貴族をしのぐ立場となりました。



2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、平清盛をを俳優の松平健さんが演じられますので、とても楽しみです。

この記事では、平清盛と、源頼朝の関係を中心に、できるかぎり、わかりやすく、簡潔に解説してみたいと存じます。

平治の乱

天皇や貴族は、軍勢を持っていないため、平氏や源氏などの武士を味方にして、軍事力を行使していました。
そして、武士の棟梁としては、平氏の平清盛と、源氏の源義朝が、競っていたと言う事になります。
そこで、平清盛は、後白河上皇の寵臣・藤原通憲と結び、朝廷に進出し、勢力を伸ばし始めました。
更には、平徳子を高倉天皇の皇后とし、外孫・安徳天皇をのち即位させるなど、かつての藤原氏と同じ方法で、政権掌握をも図るようになります。
そのため、1159年、平清盛を打倒しようと、源義朝は藤原信頼と結び、挙兵したのが「平治の乱」(へいじのらん)になります。

京で合戦になりましたが、敗走した源義朝、藤原信頼は殺害され、平氏政権が出現することになり、武士の頂点に立ちました。
このとき、源義朝の子で、13歳の源頼朝も、捕縛されました。
しかし、平清盛の継母・池禅尼(いけのぜんに)が、助命するなどし、減刑さりた源頼朝は伊豆国に配流になった次第です。



それから21年後の1180年、源頼朝は挙兵しました。
このとき、平清盛は、平維盛を総大将にした討伐軍を派遣しますが、富士川の戦いで、大敗を喫します。
更に討伐の軍勢を派遣しようと準備する中、平清盛は、謎の熱病にかかり、1181年閏2月4日、死去しました。享年64。

平清盛【謎の出自】 ~年表付~平家の棟梁の姿を追う
平国香の解説~筑波山の西に拠点を持った平高望の長男(常陸平氏の租)
平貞盛の解説~藤原秀郷(俵藤太)と平将門を討つ
平盛国(たいらのもりくに)~平家第一の家臣
平頼盛(たいらのよりもり)の解説 源頼朝を救った池禅尼の子
源義朝の解説 我れに木太刀の一本なりともあれば
平宗盛とは~暗愚の汚名を着た平家最後の当主~
奄美大島の平家落人伝説を追って~神様アマンディの墓も
平高望(高望王)の解説~高望王流桓武平氏の租
源氏の解説「なんで源氏(げんじ)なの?」わかりやすく簡単に説明
鎌倉時代 いつからいつまで?
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