皆鶴姫(みなづるひめ)ちょこっと解説~源義経が初恋した女性とは?




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皆鶴姫とは

鎌倉時代初期、源義経が討死した際に、思わず声に出した女性の名は「皆鶴」だったと伝わります。

皆鶴姫

皆鶴姫(みなづるひめ)は、源義経の初恋の姫ともされます。
皆鶴姫の出自には、諸説ありますのでご紹介してみます。

京の一条堀川(今出川とも)に住む、陰陽師・兵法家の鬼一法眼(きいちほうげん)の娘・幸寿前が、皆鶴姫。





大納言・藤原成道と、側室・桂御前の間で、1159年に生まれた娘で、1162年、藤原成道が死去すると、男子を儲けていなかった桂御前は、藤原家を出て、里に帰ったと言う。
その後、兵法学者である鬼一法眼・吉岡憲海と再婚し、皆鶴姫は連れ子として養女になった。
1174年、源義経は、平泉から京に入って、平家の動向を探っていた際に、鬼一法眼が、中国の兵法書を秘蔵していることを知り、皆鶴姫と親しくなったと言う。
1175年、帽子丸が生まれ、更には、兵法書「六韜」「三略」も、写し取ることに成功しました。
しかし、潜伏していることを、平清盛に気づかれ、奥州・平泉へ逃れたと言います。
そのため、皆鶴姫は、帽子丸と共に、会津まで来ましたが、平家側に捕まり、帽子丸は、沼に投げ入れられ溺死したとされます。

皆鶴姫の碑

皆鶴姫も、藤倉まで来ましたが、難波池に身を投げて、亡くなったと言うのが、皆鶴姫の伝説です。
下記が、皆鶴姫の墓と言う事になります。

皆鶴姫の碑

源義経と皆鶴姫の悲恋物語を伝える碑です。
皆鶴姫は、18歳だったと伝わります。





毎年8月下旬には、広田西公園にて「かわひがし皆鶴姫まつり」が開催されているようです。

なお、一般的に、源義経の妻として知られているのは、正室になる河越重頼の娘・郷御前。
妾としては、静御前、平時忠の娘・蕨姫などになります。
また、皆鶴姫に関しては、一関市室根町にて息絶えたとする伝承もあり、皆鶴姫を祀る皆鶴姫神社が室根町にあるようです。

交通アクセス

皆鶴姫の碑がある場所ですが、住所は、福島県会津若松市河東町倉橋藤倉になり、会津・藤倉城の近くです。
駐車場はありませんが、道路は、駐車禁止ではなかったため、2分ほど、短時間だけ、クルマを路肩に寄せて、止めさせて頂きました。
場所などは、当方のオリジナル東北地図にて、ポイントしております。
スマホで表示して、目的地としてタップし「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

近くにある藤倉二階堂や、会津・藤倉館跡と、セットでどうぞ。

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