北条政村の解説【鎌倉・常盤亭】北条氏常盤亭跡

北条政村とは

北条政村(ほうじょう まさむら)は、鎌倉幕府・第7代執権を務めた鎌倉時代前期の武将で、1205年に生まれました。
父は、2代執権・北条義時でその4男が北条政村になります。
母は、継室の伊賀の方(伊賀朝光の娘)です。
異母兄に、3代執権になった北条泰時がいます。

北条政村

1213年、わずか7歳のとは、鎌倉幕府3代将軍・源実朝の御所にて元服しました。
烏帽子親は、三浦義村になります。

1224年、父・北条義時が死去すると、母・伊賀の方は、伊賀光宗と共に、竹御所が産んだ三寅(九条頼経)を廃して娘婿の一条実雅を将軍に擁立し、北条政村を次期執権に建てようとし、三浦義村にも支援を求めたました。
しかし、三寅を後見していた尼御台・北条政子は、事前に察すると大江広元と協議し、北条泰時と北条時房の両名を執権に任命し、伊賀の方らを謀反人として処罰しました。(伊賀氏の変)



伊賀の方は伊豆・北条荘へ追放となり、伊賀光宗は信濃国筑摩郡麻績御厨、一条実雅は妻・藤原有恒の娘と離縁させられたうえで越前へ配流になっています。
なお、兄・北条泰時の計らいで北条政村は連座しておらず、のち評定衆・引付頭人へと出世していきました。
ただし、吾妻鏡では、伊賀氏の娘が、謀反を企てたとは、記載していないことから、権力低下を恐れた北条政子により、謀反の疑いをかけられたものと推測されます。
伊賀の方は、4ヶ月後、伊豆で亡くなったとあり、伊豆・北条寺に、伊賀の方の墓(佐伯氏の娘の墓)もあります。
北条政子の死後、伊賀光宗は常が許されて所領も戻され、1244年には評定衆に就任しています。

北条政村は教養もあり、和歌にも優れていたようで、1251年2月、常盤(ときわ)の別業(べつぎょう)にて、和歌会を催し、勅撰集(新勅撰和歌集)には37首が収められています。



1256年3月、兄・北条重時が出家すると、代わりに北条政村(52歳)が連署になりました。
<注釈> 連署(れんしょ)とは、執権の次にエライ、No2の要職で、連署も北条一門が世襲した。

1260年10月15日、娘のひとりが錯乱状態になっています。
身体をねじらせ、舌を出して「蛇」のような様子になったと言います。
祈祷師が言うには、比企氏の乱で殺害された讃岐局が、蛇の怨霊となってとりついたとされ、隆弁(りゅうべん)と言う天台宗の僧侶が、供養などを行い、収めました。
その後、北条政村は、比企氏の館跡に「蛇苦止堂」を建立し、讃岐局(若狭局)を祀ったとされます。(現在の妙本寺の一角)



1264年、6代執権・北条長時が病で出家すると、後継者の北条時宗はまだ14歳だったため、暫定的に北条政村(60歳)が7代執権に就任しました。
連署となった北条時宗や、評定衆の北条実時・安達泰盛らを従えています。
しかし、1268年1月、蒙古のクビライより大蒙古国皇帝奉書(日本側呼称:蒙古国牒状)が届くと、鎌倉幕府を盤石とするため、北条時宗が8代執権に就任しました。
北条正村(64歳)は、再び連署になり、侍所別当も兼任しています。

北条氏常盤亭

1273年5月、常葉上人を戒師として出家すると、常盤院覚崇と号しました。
同じ月、北条正村は死去。享年69。
兄・北条重時の子・北条義政が連署を継いでいます。

1274年には、蒙古来襲(文永の役)となりました。

鎌倉・常盤亭

鎌倉にある常盤亭跡(ほうじょうしときわていあと)は、神奈川県鎌倉市常盤にある、北条氏の館跡になる、国の史跡で、大仏坂切通しの近くにあります。
鎌倉幕府で執権の座を確立した北条氏は、鎌倉に入る重要な切通し近くに、一族の屋敷を配置しました。
その北条氏の屋敷のひとつが常盤邸であり、吾妻鏡にも「常葉」「常磐」「常盤」などの漢字で登場致します。

鎌倉・常盤亭

最初に、常盤邸をを築いたのは、鎌倉幕府第7代執権・北条政村とされます。
北条政村の父は、2代執権・北条義時で、母は伊賀の方(佐伯氏の娘)となります。
1268年、蒙古襲来となると、8代執権・北条時宗を、連署である北条政村が支えました。
常盤の名は北条政村の号「常盤院覚崇」に由来します。
北条政村の子孫は、常盤亭に住んだため「常盤殿」と呼ばれた、常盤流北条氏と呼ばれます。

北条氏常盤亭跡

西隣には「法華堂」とよばれる谷戸もありますので、誰かの墓所にもなっていたと考えられます。
恐らくは、北条政村の墓になっていたことでしょう。

1977年、発掘調査のあと、埋め戻されており、敷地内は立入禁止になっており、遺構などを確認することはできません。
道路沿いに、北条氏常盤亭跡の案内板が建てられています。
北条氏常盤亭跡の付近に駐車場がないため、せめて、駐車場くらいは、欲しいところです。



のち、親鸞の弟子・唯善の草庵「一向堂」があったとされるため、地名は一向堂となります。

交通アクセス

>鎌倉・常盤亭までの行き方ですが、JR鎌倉駅の西口から歩くと、徒歩25分の距離です。
バスの場合、JR鎌倉駅・西口の1番バス乗り場から「山の上ロータリー」「鎌倉中央公園」行きに乗車して、一向堂バス停下車の徒歩1分です。
残念ながら駐車場はありません。
バスで来て、帰りはハイキングコースか、長谷大谷戸の信号から、鎌倉・大仏へ、散歩がてら戻るのが良さそうです。

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