1分でわかる「北条政子」わかりやすく解説【鎌倉殿の13人】




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目次 contents
  1. 北条政子の簡単解説

北条政子の簡単解説

1分でわかる、北条政子の簡単・手短な解説・説明です。
北条政子 (ほうじょうまさこ)は、平安時代末期の女性で、伊豆・北条荘(静岡県伊豆の国市)の豪族である北条時政の長女として、1157年に生まれました。

北条政子

その頃、源頼朝が伊豆にて流刑となっており、北条氏・伊東氏は監視役でした。
そして、父・北条時政が、大番役(警備役)として京に赴いていた間に、北条政子は源頼朝と恋仲となります。





なんでも、蛭ヶ小島にいた源頼朝は、北条時政の次女・北条時子への手紙を、側近の安達盛長に託したとされます。
しかし、二女は悪女だという噂があったので、安達盛長は、その手紙の宛名を書き換えて、長女の北条政子に渡したと言います。
こうして、源頼朝と北条政子は、密会するようになったと言う事になります。

源頼朝と源頼朝と

伊豆に戻って知った北条時政は、平氏の咎めを恐れて、結婚に猛反対します。
しかし、その後、許すると、北条政子(20歳くらい)と源頼朝(31歳くらい)は、1177年頃に結婚したとされます。
そして、1178年、長女・大姫(おおひめ)が誕生しています。

なお、北条政子と呼ばれるようになったのは、1218年に従三位に叙せられたときからでして、それ以前の名前は不明です。

源頼朝が鎌倉に入ると、北条政子は呼び寄せられて、1182年には源頼家、1192年には源実朝を生みました。
長女・大姫を、天皇家に入内させようと上洛すると、朝廷の実力者である丹後局(たんごのつぼね)とも面談しています。





1199年、源頼朝が死去すると、尼となり、大江広元、北条時政らのによる十三人の合議制政治を推し進め、源頼家を抑えています。
その後、父・北条時政と謀り、源頼家を廃すると、源実朝を将軍にしました。

1205年、父・北条時政が、後妻である牧の方(まきのかた)と、将軍廃立を謀ると、弟・北条義時と共に源実朝を守り、父を伊豆へ追放しました。
このように、北条政子は、鎌倉幕府の運営にも携わり、政務の中心にあったことから、晩年は「尼将軍」と呼ばれています。
源実朝が亡くなると、鎌倉殿としての任務を代行しました。
1221年、承久の乱の際には、関東武士らに鎌倉幕府への恩を説いて、京に軍勢を向けさせています。

北条義時が急死すると、伊賀の方などによる伊賀の変の陰謀を抑え、甥・北条泰時を3代執権に据えました。
1225年、北条政子は病の床に付くと死去しています。享年69。





2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、女優の小池栄子さんが、北条政子を演じられます。

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