安西景益の知っておきたい重要ポイントを簡潔に1分でわかりやすく




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目次 contents
  1. 安西景益
  2. ポイント

安西景益

安西景益(あんざい-かげます)は、平安時代末期に安房(千葉の房総半島)にいた武将。
父は安西景房で、母は安西常遠の娘で、子には安西景仲、安西景義がいる。
安西氏(あんざいし)は安房の豪族で出自は諸説あるが、古代豪族の忌部氏(斎部氏)、相模の三浦氏、桓武平氏、平群氏、宇多源氏などの一族と考えられる。
三浦為継の子・三浦義継の兄弟に「安西四郎」がいるため、三浦党と安西家の繋がりは強かった可能性がある。
安西景益の本拠地は源義朝伊勢神宮に寄進した安房国丸御厨(千葉県南房総市丸本郷)だったともされ、安房・平松城あたりに屋敷を構えていたと推測される。

若き源頼朝が右近衛将監に昇進すると、1159年6月1日、伊勢神宮に丸御厨が寄進されている。
これらの縁からも、丸御厨(まろのみくりや)は源氏と関りが深く、安西景益(安西三郎景益)と源頼朝は子供の頃から面識があったとも考えられる。

1180年8月29日、石橋山の戦いにて敗れた源頼朝は、再起を図るため安房に上陸すると9月1日、安房国の一族と在庁官人を呼び集めるようにと安西景益に手紙を送っている。
これに答えた安西景益は安西一族と在庁官人を2~3人を連れて、源頼朝の宿泊所(旅館)に参じた。

そして、源頼朝に下記のように助言したと言う。

安易に上総広常の元へ行くべきではない。
長狭常伴のような手柄ばかりを狙う連中が沢山いるので、迎えに来させた方が良い。

と伝え、和田義盛を上総広常の元へ、安達盛長千葉常胤の元へ使者として派遣された。

9月11日、源頼朝は、代々源氏の家人である丸信俊(丸五郎信俊)を案内人として丸御厨を巡検している。

1182年8月11日、港も頼朝の正室・北条政子が産気づいたため、安産祈願に安西景益(安西三郎)は洲崎神社を参拝すると、翌日に源頼家が生まれている。

1184年の平家討伐で、安西景益は源範頼の軍勢に加わり西国へと赴き、1185年には豊後国に渡っている。

1195年3月、東大寺再建供養に出席するため安西景益は源頼朝の上洛にも従った。

ポイント

源頼朝が安房に逃れた際にいち早く協力したのが安西景益と言える

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