長狭常伴を簡潔に解説~安房・鴨川の領主で三浦氏に敗れる




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目次 contents
  1. 長狭常伴とは

長狭常伴とは

長狭常伴(ながさ-つねとも)は、平安時代末期の武将で、安房・長狭(鴨川)の領主で安房・金山城主です。
三浦半島の三浦氏と対立しており、1163年、三浦義明は、三浦水軍を派遣し、安房・金山城を攻撃しました。
このとき、和田義盛の父・杉本義宗が矢を受けて負傷し、翌年、鎌倉の相模・杉本城にて亡くなっています。





1180年、石橋山の戦いにて敗れた源頼朝や三浦義澄らは、安房に逃れると、安西景益や丸信俊らは従いました。
しかし、吾妻鏡によると、長狭常伴(長狭六郎常伴)は、源頼朝の宿舎(旅館)を襲撃しようとち計画したとあり、三浦義澄の軍勢が派遣されて、1180年9月3日、長狭の一戦場にて合戦となったとあります。
そして、長狭常伴は、討死しました。

長狭常伴

長狭常伴は、敵対していた三浦一族が参加している源頼朝には従えなかったでしょう。
また、三浦義澄も、長狭氏を討つチャンスであったことから「噂」があると、源頼朝に報告した可能性も捨てきれません。

このとき活躍したのか?、以後、東条秋則が、長狭郡の支配を認められました。
そして、東条御厨(とうじょうのみくりや)が成立したとも考えられます。





鎌倉時代の中期には、工藤氏の一族とされる工藤吉隆が、天津を領していたとされます。
小松原にて東条景信が日蓮上人を襲った際に、工藤吉隆は救って、討死したようです。

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