北条時輔の解説~得宗家の内紛で散った北条時宗の長兄




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目次 contents
  1. 北条時輔とは
  2. 二月騒動

北条時輔とは

北条時輔(ほうじょう‐ときすけ)は宝治2年5月28日(1248年6月21日)、鎌倉幕府5代執権・北条時頼と出雲の御家人の娘であった讃岐局(またの名を三河局)の長男として生まれました。

讃岐局の子は時輔一人で、異母弟妹に正室の子である北条時宗と宗政に夭折した妹、辻殿を母とする宗頼、生母未詳の子として宗時、政頼、桜田時厳がいます。
宝治合戦で勝利した翌年にようやく授かった長男のため、時頼は子供の守り神である訶利帝(鬼子母神)と十五童子の像を産室に安置したことが吾妻鏡に記されています。

また、腹心の部下で諏訪大社に仕えた人物でもある諏訪盛重、またの名を蓮仏入道と言う家臣を乳母夫に任命するなど、時輔出生に対する時頼の喜びは大きなものであったようです。
宝寿と言う幼名を授けられた時輔が3歳になった建長3年(1251年)、正室の葛西殿が嫡出の次男・正寿を産みます。この正寿がのちの北条時宗です。




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なお、葛西殿が時宗を懐妊中に三河局とも呼ばれていた讃岐と彼女との間に揉め事が起こり、葛西殿の父である北条重時の介入で讃岐は移転する事件が発生しており、後年に起きた悲劇の前兆とも言える男子を産んだ正室と側室の対立が勃発していました。
2年後には時宗の同母弟で三男の宗政(幼名・福寿)が誕生、時頼は嫡男2人の息災を願ってその名前から命名した聖福寺を建立させるなど、庶長子・時輔の誕生した時を上回る喜びでした。

得宗家の庶長子として

建長8年(1256年)、9歳で元服する事となった時輔は烏帽子親(成人式で冠を授ける人)を足利頼氏(足利尊氏の曽祖父)とし、その一字を賜って相模三郎時利と名乗ります。
そして翌年には幕府の皇族将軍・宗尊親王の近習として仕官し、正嘉2年(1258年)には御家人・小山長村の娘を妻にし、その2年後には時宗を輔ける意味であったとされる時輔に改名しました。

こうした出来事は、後に弟の時宗が宗尊親王を烏帽子親として相模太郎時宗となった事と比較して、時輔が冷遇された証拠とされる事例です。が、烏帽子親の頼氏は皇族・公卿でこそないものの清和源氏の嫡流で北条の血も流れており、妻の実家も下野守護を務める有力氏族なので、決してないがしろにされたのではないとする見解もあります。




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しかし、庶子の時輔と嫡子たる時宗に対する扱いに大きな隔たりがあったことは紛れもない事実で、宗尊親王が苦言を呈しても時頼はそれを退け、儀式の場で時宗を最上位の子としてお披露目し、名簿でも時輔は時宗の下位とされていました。
そうした嫡子と庶子に対する厳格な差は、時頼自身が兄経時が死んだ事で嫡男となった、正統性の弱い立場だったことから由来すると言われます。

それでも、彼ら兄弟は反目することなく過ごしていたのですが、弘長3年(1263年)11月に父の時頼が病死して以来、事態は暗転の一途を辿りました。その翌年に時宗は連署になる一方、時輔は京都の六波羅探題南方へと送られ、鎌倉から遠ざけられます。
文永2年(1265年)には無官だった時輔に従五位下式部丞の位が与えられるなど、朝廷からの扱いも悪くはなく、一門で六波羅探題北方を務める北条時茂が支援者になっていたりと、この時期の時輔は比較的落ち着いた状況と言えました。

二月騒動

しかし、文永5年(1268年)に元朝(モンゴル帝国)からの牒状が送りつけられ、元寇の国難を前にした幕府は権力の統一を進めるべく、時宗を執権にしたことが得宗家の庶長子と言う内紛の火種になりかねない時輔の運命を決めてしまいました。それこそが、二月騒動の始まりです。

文永9年(1272年)2月7日、かねてから反得宗の風潮があった名越流の北条時章・教時兄弟が鎌倉で討たれ、文永3年(1266年)の時点で謀反の嫌疑をかけられて解任されていた宗尊親王の側近だった中御門実隆が捕まるなど、得宗家の脅威になると見なされた人物が次々に処罰されます。
2月15日、討伐の手は京都の六波羅にいた時輔の手にも及び、彼は事件の先年に六波羅探題北方になっていた北条義宗によって謀反の容疑で誅殺、25年の人生を終えました。

北条時輔生存伝説

これによって時宗を中心にした得宗家による支配体制が確立され、中世の我が国を襲った大危機と言われる元寇を退ける事となるのですが、その過程で犠牲となった時輔に対しては様々な伝説が生まれます。
吉野へ逃れたとする説、元寇の混乱に乗じて鎌倉侵攻を企てたとする噂、時輔の子とされる人物が処刑されるなど、その逸話は少なくありません。




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そうした伝説が大幅に脚色されたのが、高橋克彦さんの小説『時宗』とそれを基にした大河ドラマ『北条時宗』で、時宗(演:和泉元彌さん)と対立した時輔(演:渡部篤郎さん)の葛藤が描かれた事で大きな反響を呼び、北条時輔の名を世に一段と広く知らしめています。

元寇撃退の立役者となった弟の陰に隠れがちな時輔ですが、彼もまた敗者への同情と生存を願う判官びいきを好む日本人の心の琴線を揺り動かした、影のヒーローと詠んでも差し支えないでしょう。

(寄稿)太田

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