義円をわかりやすく・ちょこっと解説~源義円とは(阿野全成・源義経の兄弟)




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目次 contents
  1. 義円とは

義円とは

義円(ぎえん)は、平安時代末期の僧侶で1155年に生まれました。
父は源義朝で8男となり、幼名は乙若丸と呼ばれました。
母は常盤御前で、同じ母が産んだ兄に阿野全成(今若丸)、弟に源義経(牛若丸)がいます。




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1160年、平治の乱で敗れた父・源義朝が逃亡した尾張にて、長田忠致と長田景致に裏切られて命を落と、鎌田政清も亡くなります。
子らは助命されると異母兄・源頼朝は伊豆に流罪となりましたが、常盤御前の子である今若丸・乙若丸・牛若丸も仏門に入れられました。
6歳だった乙若丸は園城寺にて出家して卿公円成(きょうのきみ-えんじょう)と称し、成長すると後白河天皇の皇子・円恵法親王の坊官を務めました。

1180年、伊豆・蛭ヶ小島にいた源頼朝に同調し、父・源義朝から一字ほとり「源義円」と改名しました。
兄・阿野全成や、弟・源義経は源頼朝のもとに駆け付けていますが、義円の行動に関してはよくわかりません。
吾妻鏡でも、義円が源頼朝と対面したと言う記録がありません。

ただし、1181年、叔父・源行家の挙兵に参加しました。
源行家は、源頼朝とは別行動であり尾張付近で平氏に抵抗したため、1181年3月10日、墨俣川の戦いとなっています。
源行家の軍勢には、源義円、尾張源氏の源重光、大和源氏の源頼元と源頼康らが加わっていました。
対する平氏の軍勢は平維盛、平重衡らで墨俣川を挟んで対峙しました。




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源氏は、源行家と義円とで先陣争い・主導権争いにもなり足並みがそろわなかったようで、義円は単独で敵陣に夜襲を仕掛けます。
敵陣に秘かにもぐりこんだようですが、渡河して濡れていため見破られて失敗し、平家の家人・高橋盛綱に討ち取られました。享年27。
尾張源氏の泉太郎重光らも討死し、源行家の子・源光家らは平忠度に捕縛されました。
敗北した源行家は、源頼朝を頼って相模に逃れています。

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