一条忠頼のちょこっと解説~甲斐武田を継ぐ立場も鎌倉の酒宴で殺害された理由




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目次 contents
  1. 一条忠頼とは

一条忠頼とは

一条忠頼(いちじょう-ただより)は、平安時代末期の武将で甲斐源氏武田信義の嫡男になる。
母は不詳。
弟は、板垣兼信、武田有義、武田信光などがいる。

甲斐・一条郷のうち一条小山館(現在の甲斐・甲府城跡)を本拠にしていたようだ。
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の前原滉(まえはら-こう)さんが、一条忠頼を演じられる。





1180年、伊豆の源頼朝が挙兵したころ、甲斐の武田信義・安田義定らも挙兵。
このとき、一条忠頼も武田勢に加わっていたと推測でき、平家に従う武将らを平定した。

<注釈> 父・武田信義の弟である加賀美遠光とその次男・小笠原長清、武田信義の子・石和信光らは木曽義仲(源義仲)へ味方しており、多少、甲斐・武田家も分裂している。

1184年1月、鎌倉から出陣した源範頼源義経らが、木曾義仲を追討したが、その鎌倉勢の中に一条忠頼の名も見られるため、父の代理として参じた可能性も考えられる。
3月に一ノ谷の戦いとなったが、その中に一条忠頼の名は確認ができない。
平家討伐の際には、今日にて治安維持など別の役割を行っていたも推測されている。

その後、源義経が京に留まって都の治安維持にあたり、源範頼は鎌倉へ戻った。
一条忠頼も鎌倉に引き上げたようで、それからまもなく事件が起こる。

1184年6月16日、鎌倉での酒宴に出席した一条忠頼は、小山田有重天野遠景の手にかかり暗殺された。
甲斐源氏の勢力を削ぐため、源頼朝の命によるものとされている。

<注釈> 木曽義高(源義高)が鎌倉から逃亡して、藤内光澄によって入間河原(埼玉県)で殺害したのが4月なのでその2ヶ月後に武田信義の嫡男・一条忠頼も殺害されているため、源頼朝は源氏の粛清に入ったという事になる。

一条氏の家督は、源頼朝に協力した弟・武田信光の次男が一条信長となって継承。

一条忠頼の墓は山梨県南巨摩郡富士川町舂米にあり、宝林寺が屋敷跡だったともされる。





一方で鎌倉は加賀美遠光を取り込むなどしたほか、武田家の家督を継ぐ立場となった弟・板垣兼信を土肥実平の配下に加えるなどしていた。
そのため、勢力を弱めた父・武田信義も鎌倉殿に従うしか無くなり、いち御家人へと転じていくことになった。

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