平清宗の短時間でわかりやすい解説~平宗盛の長男




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目次 contents
  1. 平清宗とは

平清宗とは

平清宗(たいら の きよむね)は平安時代末期の武将で、平宗盛の長男として1170年に生まれたとされる。
父・平宗盛は、平清盛亡きあと平家の棟梁となった。
母は平清子(平時信の娘)、弟には平能宗などがいる。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の島田裕仁さんが若き平清宗を演じられる。





建春門院と血縁関係があり後白河法皇からね溺愛された平清宗は、1172年、わずか3歳にして元服して従五位下。
1178年、母・平清子が死去。享年33。
1180年、11歳で従三位になるも、1181年、祖父にあたる平清盛が死去。
1182年、13歳で正三位に昇進し、平頼盛の娘を妻にした。
しかし、源義仲(木曽義仲)の軍勢を平氏は止められず、安徳天皇と京から九州・大宰府に逃れた。
このとき平清宗も従い、木曾義仲勢の進撃を食い止めると福原(神戸)まで押し戻したが、源範頼源義経らに一の谷の戦いにて敗北。
平氏は有力武将を多数失い、1185年、壇ノ浦の戦いで滅亡した。
平清宗は父・平宗盛とともに入水を試みたが、決心がつかずに家人に海に落とされたとされる。
そして、死にきれずに泳ぎ回っていたところ源氏の軍勢により共に海から引き上げられ、親子で捕虜になった。
父・平宗盛と平清宗は、土肥実平などの警護のもと京にて引き回されたあとに、源義経によって鎌倉へ連行され、源頼朝の前に出された。

その後、平宗盛と平清宗は京都に返されたが、吾妻鏡によると近江国篠原宿で、橘公長が平宗盛を斬首。享年39。
平清宗は近江国野路口(草津市)にて源義経の郎党・堀景光に斬首された。享年16。
首は京・六条河原に晒されている。
平家物語では、2人とも近江国篠原で処刑されたとしている。

斬首するのであれば鎌倉でも良いのだが、もともと京に首を晒す予定だったと考えられ、首が腐らないよう近くまで行ったところで処刑したものと推測できる。





父・平宗盛は、最後に、子の平清宗はもう斬られたのか?と心配をしながら橘公長の刀で首をおとされた。
一方、平清宗は父・平宗盛が潔く斬首されたと聞き、西方浄土に向って手を合わせ、堀弥太郎景光の刀を受けたとされる。
南草津病院の医師・遠藤勉さんの邸宅庭に、平家の悲劇の若武者・平清宗の胴塚(五輪塔)があるらしい。
旧東海道沿いにある個人のお宅だが昼間は開放なさって頂いているようだ。
ご近所迷惑にならないよう静かに見学して頂きたい。

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