佐竹義政のちょこっと解説~石岡・園部川の大谷橋で上総介に討たれる




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目次 contents
  1. 佐竹義政とは

佐竹義政とは

佐竹義政 (さたけ-よしまさ) は、平安時代末期の武将で、佐竹昌義(佐竹氏の祖)の庶長子。
母は、平快幹の娘。
ただし、佐竹昌義の嫡子である佐竹隆義の子が佐竹義政とする系図もある。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、俳優の平田広明さんが佐竹義政を演じられる。

佐竹氏は常陸源氏の嫡流で、庶流に甲斐源氏の武田氏がいる。
この頃、佐竹氏は馬坂城や常陸・太田城(常陸太田市)を本拠にして奥七郡(多珂・久慈東・久慈西・佐都東・佐都西・那珂東・那珂西)を支配していたが、1147年頃に父・佐竹昌義が死去。
長男は佐竹義政(佐竹太郎義政)だったようだが、正室・藤原清衡の娘が産んでいる3男・佐竹隆義が佐竹氏2代となった。





吉田・大掾氏が断絶すると、佐竹義政は大掾氏のあとを継いで常陸・府中(石岡)に入っている。
保元の乱・平治の乱では、弟・佐竹隆義とともに平清盛に味方して戦った。

1180年、伊豆の源頼朝が挙兵した際に、弟で当主の佐竹隆義は京にいたため、源氏でありながらそのまま平氏についている。
そのため、富士川の戦いで平家の大軍を敗走させた源頼朝は、三浦義澄千葉常胤上総広常らの進言を受けて、10月27日から佐竹氏の討伐を行った。
佐竹隆義の子・佐竹秀義は、常陸・金砂城にて籠城。
11月4日頃、鎌倉勢は常陸国の国府(石岡市)に到着。
そして、上総広常は佐竹義政・佐竹秀義の兄弟に会見を申し入れた。
このとき、園部川にかかる大谷橋(小美玉市大谷)にて面会に応じた佐竹義政は、長年対立していた上総広常に殺害されてしまう。
そのため、佐竹秀義とは金砂城の戦いとなったが、内通した叔父・佐竹義季の裏切りがあり、佐竹氏は士気が低下。
熊谷直実平山季重らが総攻撃して金砂城が落城し、佐竹氏の所領は没収された。
佐竹秀義は奥州または常陸・花園城へ逃亡したとされる。

園部川沿い、常磐道の石岡小美玉スマートIC近くに、佐竹義政の首塚がある。





なお、源頼朝は11月7日、常陸・国府にて叔父で信太荘の志田義広、新宮行家とも対面しているが、源義仲の軍勢に加わり反頼朝となっている。
11月8日には、佐竹義政の近習で岩瀬城主の岩瀬与一太郎が源頼朝の尋問を受けているが、御家人に取り立てられた。

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