文陽房覚淵のちょこっと解説~伊豆山権現・密厳院にて北条政子を匿う




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目次 contents
  1. 文陽房覚淵とは

文陽房覚淵とは

文陽房覚淵(もんようぼう・かくえん)は、平安時代末期から鎌倉時代の僧侶。
伊豆の武将・加藤景員の子とされ、加藤光員・加藤景廉とは兄弟と考えられる。
2男だったのか?、若いころから東寺にて学んだ。
その後、文陽房覚淵は伊豆山権現社(伊豆山神社)の別当寺・密厳院を創建。
源頼朝が伊豆に流罪となると、密厳院を祈願所とし、は源頼朝の読経の師匠になった。
下記写真は現在の伊豆山神社の様子。

伊豆山神社

1180年、源頼朝が挙兵を決意すると、加藤景廉と同じように北条家の屋敷にて事前に相談を受けており励ましたとある。
そして、源頼朝は大願成就の暁には、居住地である蛭ヶ小島を覚淵に寄進すると約束したとされる。

曽我物語では、北条政子が伊豆目代・山木兼隆に嫁ぐことになったとき、伊豆山の密厳院に逃れてきたので、文陽房覚淵が匿ったとある。
なんでも、山木兼隆の屋敷を攻撃した際の夜に、源頼朝の命を受けた藤原邦通・佐伯昌長が、北条政子を連れて走湯山(そうとうさん)にある覚淵の房舎に避難したと言う。
石橋山の戦いで敗戦となると、走湯権現にいた北条政子を、秋戸郷(熱海)に逃がすのに協力している。





のちの世に確認できる文献では、走湯山(伊豆山神社)の寺領のひとつに「蛭島郷」と記載されていると言う。

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では俳優の諏訪太朗さんが文陽房覚淵を演じられる。

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