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大進局とは
大進局(だいしんのつぼね)は、平安時代末期の女性で、鎌倉幕府の御家人・常陸入道念西の娘(常陸介藤原時長の娘)とされます。
父・常陸入道念西(ひたちにゅうどう ねんさい)と言う武将は、諸説ありますが、藤原光隆(中村光隆)の子で、源為義の娘が産んだ、伊達朝宗のことだと考えられていますが、詳しくは不明といったところです。
これが正しいと、大進局は、伊達朝宗の娘と言う事になります。
父・伊達朝宗は、1189年の奥州合戦にて、佐藤基治を生け捕りした功績があり、陸奥国伊達郡を賜りました。
以後、伊達姓を称し、戦国時代には伊達政宗を輩出する、伊達宗家の初代当主になった次第です。
大進の局は、鎌倉幕府の大倉御所にいた女房でしたが、秘かに源頼朝の寵愛を受けました。
そして、1186年2月26日、男子・亀王丸(貞暁)を産んでいます。
1186年と言いますと、北条政子が次女・三幡(さんまん)を産んだ年になります。
吾妻鏡によると、北条政子に気兼ねして、加藤景廉の一族である長門景遠(長門江七景遠)の別邸にて出産したとあります。
しかし、北条政子の知るところとなり、長門景遠は勘気を蒙り、10月には、鎌倉・深沢の辺りに隠居しました。
また、北条政子が「はなはだ不快」と表明したとあり、出産の儀式はすべて省略され、乳母のなり手もいなかったようです。
そして、追われるように、長門景遠の子・長門景国(長門江太景国)によって、大進局と亀王丸(貞暁)も、深沢に移った模様です。
1192年、北条政子が源実朝を妊娠すると、生まれる3ヶ月前に、大進局が産んでいた貞暁(7歳)は、仏門に入れられることが決定し、京の仁和寺へ送られて出家しました。
1192年5月19日、出発の夜、源頼朝は、由井家常の屋敷を密かに訪れ、亀王丸(貞暁)に太刀を与えたと言います。
このとき、乳母父を命じられた小野成綱、一品房昌寛、大和守・藤原重弘らは、京へ供するのを辞退したため、長門景国や江内能範、土屋宗光、大野藤八、由井家常が共に京へ赴いたとあります。
仁和寺では、法眼隆暁(一条能保の養子)の弟子となりました。
<注釈> 一条能保(いちじょう-よしやす)は、藤原通重と坊門姫(源義朝の娘)の子で、鎌倉・勝長寿院の落成式にも参加している。
亀王丸(貞暁)は、一条能保に付き添われて、仁和寺の勝宝院に入り、最初の法名は能寛と称しました。
また、大進局も京に移ったとみられ、源頼朝から伊勢国三箇山などの領地が与えられています。
<注釈> 三箇山は大進局の弟・常陸資綱が地頭の土地でもある。
18歳になった貞暁は、仁和寺7世・法親王道法から傳法灌頂を受け、仁和寺の勝寳院・華蔵院4世となっています。
1208年3月、3代将軍・源実朝のとき、伊達氏2代・伊達宗村(伊達為重)は、密かに貞暁(23歳)を次期将軍に就けようと謀りました。
しかし、執権・北条義時に露見して失敗したため、伊達宗村は身を隠しました。
貞暁は高野山へ逃れ、五坊門主・行勝の元にて匿われると、法名を貞暁(じょうぎょう)と改めました。
1218年2月、北条政子は、弟・北条時房を従えた熊野参詣の折り、高野山の麓・天野で貞暁と面会。
鎌倉幕府3代将軍・源実朝に手を焼いていた北条政子は、貞暁に対して、次の将軍になってほしいと要請したとされます。
貞暁は、亡き父・源頼朝から授かった短刀で、自らの一眼を潰して、不具であるとし、北条政子の懇願を丁重に辞退したともされます。
翌年1219年、公暁が鶴岡八幡宮にて、異母弟・源実朝を暗殺しますが、公暁は、貞暁の弟子でもありました。
名実共に北条氏が幕府の実権を握り、北条政子も貞暁に帰依すると、源氏一族の菩提を弔らうため、支援も行っています。
そして、貞暁は、高野山の経智坊に、丈六堂という阿弥陀堂を建立し、阿弥陀如来座像の胎内に父・源頼朝の遺髪を納めて供養しました。
また、異母弟・源実朝の五輪塔も設営して追善をした模様です。
現在、源氏三代将軍供養の五輪塔が三基、高野山西室院に移されているようです。
貞暁は、1231年、高野山の経智坊にて死去。享年46歳。
病は「不食病」だとされているため、絶食して自害したという説もあります。
大進局は出家して禅尼になっていたようで、法印行寬(源行家の子)の世話を受けて余生を過ごしたようです。(高野山は女人禁制)
貞暁が亡くなった際には、禅尼が深く嘆いたと、藤原定家の日記「明月記」に記載されています。
なお、伊達正統世次考では、大進の局は、晩年、伊達郡山戸田にて隠居生活したと伝えています。
大進の局の死後、その遺領が、伊達一族の山戸田氏に譲られている記録があることから、移住した可能性はあるでしょう。
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