北条政子の本当の名前は不明?その理由を簡潔に解説(鎌倉殿の13人)

北条政子の本当の名前


北条政子の本当の名前は不明である理由を解説

北条政子 (ほうじょう-まさこ)は鎌倉時代の女性で、伊豆・北条荘の領主である北条時政の長女として生まれました。
母は、伊東荘・伊東祐親の娘と考えられます。
1177年頃、鎌倉幕府を開く源頼朝と結婚しました。

一般的に我々も源頼朝と結婚した女性は「北条政子」と学んでおり、2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも、俳優の小池栄子さんの役名も北条政子です。

ただし、本人が自ら北条政子と称したことは確認できません。
古来より、女性の名前を呼ぶ際に親以外の者が本当の実名で呼ぶのは非常に失礼だと言う概念がありました。
そのため、他の人にもわかる仮の名前で呼ぶことが多く、吾妻鏡でも基本的に「御台所」(みだいどころ)と記載されています。
御台(みだい)と言うのは、大臣・大将・将軍などの妻を敬っていう言葉です。

源頼朝が鎌倉に武家政権を開くと北条政子は御台所(みだいどころ)と呼ばれていますが、同じ将軍になった源実朝などの妻も御台所と呼ばれています。
北条政子は源頼朝の死後に出家・落飾したことから以後は尼御台(あまみだい)/尼御台所と呼ばれました。
そのため北条政子の実名・本名は不明です。

では、なぜ北条政子と呼ばれるのか?と申しますと、下記の通りになります。
源頼朝が死去して19年後の1218年、朝廷が御台所に官位・従三位(のち従二位)を与える際にどうしても文書に名前を記載する必要が生じました。
その際に、天皇に対する名乗りとして「政子」と記述した次第です。

すなわち政子は、朝廷向けの名前と言う事なのですが「政」の字は父・北条時政から取ったと考えられています。
他には万寿、朝日と言う名前も使われますが、現在の歴史においての便宜上、北条政子と明記するのが一般的になっておりこの記事でも北条政子と記載させて頂いております。

あえて正式な呼び方をするのであれば、北条氏は平氏ですので平政子となるでしょう。
法名は安養院(あんにょういん)です。

なお、征夷大将軍の妻と言えども、幕府などの政治面において権力を持っていないと、武家の女性が朝廷から官位を与えられることはありません。
平安時代には清和源氏、桓武平氏の男子と言えども正四位が最上位でした。

源頼朝の死後、北条政子は実の子である源頼家を将軍に立てるも修禅寺に追放し暗殺されており、その後、次男・源実朝が将軍となりますが鶴岡八幡宮で暗殺されてしまいす。
そんな中、弟・北条義時タッグを組んで非常事態を乗り切りました。

源頼政が晩年に破格の従三位に叙せられていますが、鎌倉時代の女性でしかも出家の身で従二位まで出世したと言うと、朝廷からかなりの評価をされたとも言えるでしょう。

北条政子に関しての詳細は下記もご覧頂けますと幸いです。


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